第二章   始まりを告げる雨音   第三話



 冷たい雨が顔を殴る。
 目を開けるどころか、息だってし辛い。

「ロ、ロキさん! 二人がどこにいるか、わかるんですか?!」
 そういえば、私は長老さんの家を知らない。マスターさんとおじさんはすぐに行ってしまったし、ロキさんもおそらく知らないだろう。
 おまけに空は黒い雲が覆っていて光がなく、辺りは暗い。雨も加わって、人を探すには、視界は最悪だった。
 しかしロキさんは、顔を雨から腕でかばいながら、迷いなく走っていく。
「マスターの魔力を感じる方向に向かってる! 多分そっちが長老んちだろ?!」
 マスターさんは長老さんのところに行って、話を聞いている。ならば、マスターさんのいるところが、リンちゃんとエナの向かう場所だ。
 異変に気付いたマスターさん達が、二人に気付いて保護してくれていれば一番いいのだけれど……。

 そう私が願った後、ふと、気付く。
 ロキさんと並行して、何かが水たまりを弾いている。
「……さっそく来たぜぇ? チビるなよ、ガキ!」
「な、そんなことしませ……きゃあ!」
 ロキさんが大きく跳んだ。
 それは普通の人間ではありえないくらいの高さだった。軽く家屋の高さくらい跳んでいる。
 視界が半回転する。跳んだ勢いで回ったようだ。

 下に、狼のようなものが二匹走っていた。それが、跳んだロキさんを追うように、跳ぼうとしている。
「おっせーよ!」
 それに対してロキさんが、指を振るった。
 その軌道から炎の矢が二本現れ、跳びかかろうとした狼を二匹同時に撃ち落とした。

 この雨の中でも消えない炎は、狼を包む。
 悲惨な甲高い鳴き声と共に、二匹は勢いを失って倒れる。
 ……雨でよかった。これで匂いなんてした日には……ほ、本当に、粗相してしまうかもしれない。

 内臓が浮くような感覚に襲われる。
 ロキさんが、地面に着地した。ぬかるんだ地面が、泥を小脇に抱えられた私の所にまではねさせる。
 間髪置かず、ロキさんは再び走りだした。
 しかし、すぐに別の狼が襲いかかってきた。ロキさんは舌打ちして、指を振る。
 狼達は何かに吹き飛ばされ、後ろへ吹っ飛んだ。

 更に襲いかかる狼を魔術で弾きながら、ロキさんは走る。
 私はそれに圧倒されて、ただただ見ているだけだった。

 だから、どれくらい経ったのか。多分、わずかな時間だったのだろう。
「おいガキ! あいつらがそうか?!」
「!!」
 ロキさんが魔術を放ちながら言った。
 私は呆けていた意識をなんとか正常に戻す。

 前方。
 狼に囲まれている、子供二人がいた。
 リンちゃんと、エナだ!

「そうです! あの子達!!」
「おし!!」
 狼が二人に跳びかかった瞬間、その狼は何かに弾かれた。ロキさんが素早く魔術を展開したようだ。
 私達は彼女達のもとに駆け寄った。
「おい、大丈夫か!」
やっ、やー! いやー?!
 ロキさんが尋ねる。しかし、リンちゃんもエナちゃんも、襲われた恐怖からか錯乱しており、ロキさんの話を聞いていない。

 ロキさんは私を小脇から下ろした。
「ほら、こういう時のお前だ」
「え、あ、はい!」
 ロキさんと違って、私は二人と顔見知りだ。
「エナ! エナ!! 私、イザミだよ!!」
「……イ、イザミ?」
 良かった、今度はちゃんと声が届いたようだ。
 まだ怯えて私を呼ぶ声が震えていたが、エナはしっかり顔を上げて私を見た。
「うん! 助けに来た、もう大丈夫だよ!」
「助け……よ、よかった……」
 エナは安心したのか、そのまま地面にへたり込んでしまった。エナに抱かれていたリンちゃんも、つられて座り込む。
 もとから二人は傘をさしていなかった。多分、襲われた時にどこかに捨てたのだろう。とっくに全身濡れていたので、今さら濡れた泥の中に座り込んでも大差なかった。

「おい、喜んでるとこ悪いがな、ちょっと顔伏せてろ」
 助かったことに嬉々としていた私達三人と裏腹に、ロキさんは冷たい声で言った。
 何事かと、ロキさんを見る。
 それで、気付く。

 私達、かなりの数の狼に囲まれていた。
「ロ、ロ、ロキさんッ?!」
「大丈夫だ、こんくらい。……ただ多すぎて手加減とかする余裕はねーから、血生臭いことになるぜ」
 ロキさんは私達を庇う様に立った。
 そして、腕を上げた。まるで、演奏の開始を告げる指揮者のようだ。
「後で吐きたくなかったら、地面とにらめっこしてろ!」
 青白い光が煌めいた。魔力の光だ。
 同時に、狼達が悲鳴を上げた。
 それに、反射的にエナはリンちゃんを抱きしめ、ロキさんの言うとおりに顔を伏せた。

 私も、それにエナのようにしたほうがよかった。
 しかし、私は何故か、ロキさんが狼達を蹴散らしていく様を、じっと見ていた。
 ロキさんは宣言通り、手加減をせず、一撃で仕留めていく。仕留めたことが分かりやすいように、首を落としていくのだ。

 流れた血は、雨によって流される。
 水に流される血。
 水と、血。

 眩暈がした。
 だけど私の眼は、ロキさんと、散っていく魔物に固定されている。
 見たくないのに。見たくないのに、体ごと固定された様に、動かない。

――見たくない、もうやめて――

「つっ……!!」
 左腕につけられた枷が、何故か熱くなった。
 痛いと思うほどの熱。
 何事かと左腕を見ると、枷が銀色に光っていた。
 枷だけではなく、それに繋がって鎖までだ。

 しかも、左腕が、勝手に動きだしまでした。
 左手が私の意志に反して、ポシェットを開ける。
 そして、中に収められていた銃を、取り出した。
「?!」
 左手はすばやくそれを抜き出し、照準を定める。

 ロキさんの、背中に。

「ッ、ロキさん!!
「え――」
 異変に気づいてロキさんが振り返った時。
 人差し指が、引き金を引いた。

 ――しかし、弾は出なかった。当たり前だ。この銃には、弾を込めるところがない。
 代わりに出たのは、緑の閃光。

 突然の光の洪水に、悲鳴を上げて目を瞑った。
 光は一瞬で治まったが、私は目を開けることができなかった。

 だって、意味がわからない。
 左腕が突然勝手に動き出して、銃を取り出して、光を放った。
 勝手に動く体、銃、緑の光――。
 昨日と、同じだった。昨日も体が勝手に動いて、丘に出て、魔術師がいて、銃を持っていて。
 そして、緑の光が。

 何なんだ、この銃は。あの魔術師は、私に何をしてくれたんだ?!

「イザミ君!」
「……マスターさん……?」
 恐る恐る、目を開ける。
 銃を掲げた左手に、手が添えられる。指が長くて、綺麗な手だ。
 マスターさんが、私の顔を心配そうにのぞき込んでいた。

 ……どうやら、異変を感じて、駆けつけてくれたようだ。
 周りに、魔物はもういなかった。
 それだけではなかった。魔物どころか、雨も止んでいたのだ。
 雲はまだ灰色で空を覆っていたが、殴るような水は落ちてこない。

 何がどうなったのかわからず、私はマスターさんの綺麗な顔を、ぼーっと見つめていた。
 そんな私を、マスターさんは抱きあげた。乾いていたマスターさんの服が、私の服から水を吸って湿る。
「みんな、無事のようだな。一旦宿に引き上げよう」

 そのマスターさんの提案に、みんな賛同し、私達は一旦宿へと戻った。


***


 リンちゃんもエナも怪我ひとつなく、無事だった。おばさんも、事情を聞いたおじさんも、ロキさんと私にとても感謝してくれた。
 とりあえず、ずぶぬれだった私とロキさんは、お風呂に入るように言われた。あ、言っておくが、勿論男湯と女湯は分かれている。
 このままでは風邪をひいてしまうところだったので、ありがたい。

 お風呂からあがって着替えて、一階に向かうと、マスターさんとブエルさん、ロキさんがいた。
 ブエルさんが、エナとリンちゃんはだいぶ疲労したようで、部屋で休んでいるということを教えてくれた。当たり前だ。命の危機にあったのだから。
 あと、おばさんは彼女二人についていること、おじさんは、村の若い人達を集めて、警戒を呼び掛けに回っていることも教えてくれた。

 私と同じくお風呂上がりのロキさんが、頭にタオルを乗っけながら言った。藍色の長い髪がまだ湿っているから、乾かしていないのだろう。
「『カミ』の魔力は、こっちの生き物にも影響を与える。特に魔物は魔力に敏感だからな。しばらくは用心した方がいい」
 恰好は不真面目だが、言っていることはとても真面目だ。
「んで、マスター。これからどうするんだい?」
 ブエルさんがマスターさんに聞いた。マスターさんは、『カミ』の異常について調べるために長老さんと会ったはずだ。話を聞いて終わり、なんてことはないだろう。

 皆の視線がマスターさんに行く。
「……長老殿の話だと、『カミ』が怯え始めたのは、昨日からだそうだ。魔力の異変を感じて『カミ』に話を聞こうとしたらしいが、あちらの世界へ行く扉が閉ざされて、無理だったらしい。扉の場所を教えてもらったから、今から行こうと思う」
「扉、閉ざされてるんだろ? どーすんだよ」
 ロキさんが聞いた。
「同胞の言葉になら、反応するかもしれない。駄目だったら、無理矢理突破する」
「えー?!」
 マスターさんの言葉に、ブエルさんが驚いた。
「無理矢理って! 怒られても知らないよ?!」
 しかし、マスターさんはそれに動じない。
「あと一歩で実害を出してしまうところだったんだ。『カミ』が何もしていない民を傷つけることは、許されない」

 そう静かに言うマスターさんの顔には、怒りの感情が浮かんでいた。
 その場の誰かに向けられたわけではないが、みんなが黙った。

 沈黙を破ったのは、ロキさんだった。
「はいよ、わかった。んじゃ、俺もとっとと髪乾かして、行く準備するわ」
 そう言ってロキさんは、二階へと上がっていった。

 それを見送ってから、私は口を開いた。
「……あの、銃のことなんですけど……」
 マスターさんとブエルさんが、私に視線を向けた。
「その、うまく言えないんですけど、腕が勝手に動いて、それで、何故か緑の光が出て……」
「ああ、見ていた。私が君達のほうに向かった時に、光ったんだ」
 マスターさんが言った。
「腕が勝手に動いたのは、銃と魔力の経絡が合わさってしまっているせいだと思うが、銃が勝手に腕を……ということは、銃に意思があるというのだろうか」
「い、意思?!」
 ということは、この銃、生きているのか?!
 途端に、無機物の銃を、気持ち悪く感じだ。

 それが顔に出たのか、ブエルさんはマスターさんの腕を強く叩いた。
「バカマスター! 不安を煽るようなことを言うな!」
「あ、す、済まないイザミ君!」
「い、いえ、大丈夫です……」
 でも、それでますます疑問に思う。この銃、一体何なのだろう。
 なんで私に、付けられたのだろう……。

 気まずくなった雰囲気を払うように、マスターさんが明るい声でいった。
「まあ、首都にある機関の技術は素晴らしいからな。そんな銃、すぐに取り去ってくれるさ」
「……そうですね。そうだといいです」
 私のせいで空気が悪くなってしまった。
 私は努めて、笑顔でマスターさん達に向かった。

 と、ドタドタと足音を立てて、ロキさんが二階から戻ってきた。
「準備かんりょーっ! さ、とっとと行こうぜ!」
「うむ、そうだな。じゃあブエル、イザミ君を頼む」
「わかった」
 マスターさんとロキさんが『カミ』のもとに行って、私とブエルさんはお留守番だ。

 ――の、はずなのだが。

 大きな地震が起こった。
「きゃあ!」
「イザミちゃん!」
 唐突の揺れに、私はバランスを崩して倒れそうになる。それを、ブエルさんが支えてくれた。
 揺れが収まってから、私はブエルさんの腕から離れた。
「び、びっくりした……随分大きい地震でしたね」
「違う。地震じゃねぇ」
 悠長に感想を述べた私に対し、ロキさんが緊張した面持ちで言った。

 見ると、マスターさんもブエルさんも、ロキさんと同じく、顔が強張っている。

 何が起きた――と聞く前に、獣の雄叫びが空気を大きく震わせた。
 同時に、マスターさんとロキさんが、外へと飛び出した。

 窓から外を見て、驚いた。――村の広場に、大きな狼が、黒々とした毛を逆立てていた。
 さっきの魔物は人くらいの大きさだったが、今回のは、それとは比べ物にならない。この二階建ての宿よりも大きい。

「何ですかあれ?!」
 窓から見える異様な光景に、私は思わず声を上げた。
「『カミ』だよ……なんで閉じこもっていた『カミ』が、ここに……」
 ブエルさんが、独り言のように疑問を口にした。

 『カミ』のもとに、マスターさんとロキさんが駆け付けた。
 『カミ』に向かって何かを言っているようだが、屋内だし、離れているのでここからでは聞こえない。
 と、ここで、『カミ』が吠えた。
 振動で窓ガラスがガタガタと鳴る。

「うわぁ、なんか、あの『カミ』錯乱しているみたいだ。マスターとロキ、大丈夫かなぁ」
「錯乱?」
「うん。だって、さっきから喋っていることが意味がわからないもの」
「……え?!」
 私は、ブエルさんの言葉に耳を疑った。
「ブエルさん、まさか、『カミ』が何を言っているかわかるの?! というか、喋ってるの?!」
 私にはただの獣の咆哮にしか聞こえないそれは、どうやら言葉らしかった。
 ブエルさんは、私の疑問に頷いた。
「うん、わかる。だって私も『カミ』だし」
「?!」
 ブエルさんは、さらっと、大切なことを口にした。

 私の思考が、広場の『カミ』から、私の後ろにいる『カミ』に集中する。
 マスターさんもそうだが、ブエルさんも完全に人と変わらない。
 私は『カミ』に会うのは初めてだが、『カミ』ってみんなこんな感じなのか?!

 ブエルさんは、私が驚いているのに気付いているのかいないのか、言葉を続けた。
「あの『カミ』、こう言ってるんだ。『ミドリを出せ、ミドリノモノを出せ』って」
 再び、咆哮が空気を震わせた。
「っ、……さっきっからこればっかりだ。何だろう、『ミドリノモノ』って」
「『ミドリ』……緑?」

 緑、と聞いて、脳裏によぎったのは、あの緑の閃光だった。
 そういえば、『カミ』が怯え出したのは昨日から。昨日は、私の村が襲われた日だ。
 村を襲った賊の仲間の魔術師が、銃が放ったものと同じ、緑の光を放っていた。その光は、近辺の村々に届くほどで、そこから首都の議会が知ることとなった……。

 もしかして、「ミドリノモノ」って、この銃のことか?
 『カミ』が怯えているのって、この銃や魔術師が放った、緑の光なのか?

 空気が震え続ける。
 でも、例えこの銃が『カミ』が荒ぶっている原因だとしても、どうすればいいのだろう。
 この銃を差し出す? でもそれでどうやって『カミ』の気が静まるのだろう……。

「っ、マスター?!」
「?!」
 ブエルさんが、悲痛な声を上げた。
 すぐさま思考を正し、窓を見る。

 目に映ったのは、『カミ』に殴られて吹き飛ばされた、マスターさんの姿だった。

「ちょ、イザミちゃん?!」
 私を捕まえようとする手をかいくぐって。

 私は、外に飛び出していた。





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