というわけで、私とロキさんは、村はずれの私の家に来ていた。
来るまでに、ぶつぶつと文句を言っていて、始末が悪かった。
私といるのが不服のようだが、私だって、「ガキ」って連呼するような人といるのは少し不服だ。
「……この辺、山多いな」
不意に、ロキさんが言った。
「……そうですね。田舎ですから」
学校に先生は一人しかいないし、道は舗装されていないし、狸は出て畑を荒らすし。
ロキさんは窓の外を眺めていた。
「山の中、鬱蒼として暗いんだろうな」
と、独り言のようにつぶやく。
「あー、奥のほうとかは、確かに昼間でも暗いですね。でも、村の付近なら、綺麗なくらいで……はい、お茶できましたよ」
「んー……」
ロキさんはおずおずとテーブルにつき、お茶を飲んだ。
出会い頭は威勢のいい人だったけど、今は沈んでいる。どうしたんだろう。
沈黙が流れる。
耐えかねて、私は口を開いた。
「どうしておばあちゃんは、ロキさんを残したんでしょう……」
「ん?」
ロキさんは私の不意の言葉に、一瞬ぽかんと私を見た。
そして少しすると、眉をひそめて、いかにも不機嫌そうになった。
「まったくだ! 本当なら俺が先陣切ってくのによー。つか、なんで俺? 近所のおばちゃんとかで十分じゃん!」
あ、あれぇ?
なんか急に元に戻った感じだ。
お茶も勢い良く飲み干して、音をたてて湯のみをテーブルにおいた。
にしても、ロキさんの言うことは最もだ。
私一人残すのが不安なら、仲の良いご近所さんがいるから、そちらにお邪魔させてもらうことも出来るはずだ。
なんでわざわざロキさんを置いていったんだろう。
再び会話が詰まった。
「そーいや、お前さ」
今度は、ロキさんが口を開いた。
「魔術とか使えねぇのか?」
これまた唐突な。
私は少し戸惑ってから口を開いた。
「……はい、使えないんですよ」
ずっと前に、おばあちゃんに習ったのだが……
「才能、ないみたいで」
それが、少し悔しかった。
だって……
ロキさんが驚いたように私を見た。
しかし、急に納得したように頷いた。
「リグルの孫っつっても、事実血はつながってないからな……リグルみたいにはいかないか」
「あ、聞いてるんですか?」
「まぁな。孫の存在聞いた時に。だってあいつ子供いなかったのに、孫いるわけないじゃん」
そう。
私とおばあちゃんは、血はつながっていない。
おばあちゃんは結婚していたが、子供に恵まれていなかった。もちろん、そうなれば孫なんていない。
私は、おばあちゃんの夫……つまりおじいちゃんの、兄弟の孫なのだ。
革命後、王族勢力の残党により、私の家族は殺されてしまった。
私は生まれたばかりだったので、覚えていないが……。
助かった私はおじいちゃんに引き取られることになったが、革命の時、既におじいちゃんは亡くなっていた。
だから、その妻ということで、おばあちゃんが私を引き取ったのだ。
おばあちゃんには、とても感謝している。遠縁の私を、自身の孫のように育ててくれているのだから。
だから。
「おばあちゃんみたいな魔術師になりたかったのに……」
私はため息をついて、椅子にもたれかかった。
こればっかりは、努力どうこうでなるものじゃない。
その時、ロキさんの顔が妙な表情に気付いた。
なにか考えて、納得していないような……。
「どうしたんです?」
「いや……」
ロキさんは私をじっと見て、難しそうな顔で言った。
「珍しいと思ってな。
そんなに魔力が大きいのに、魔術師としての才能がねぇなんて」
「え……」
私の心臓が、大きく跳ねた。
ロキさんは、何を言っているのだろう。
魔術の使えない私が、魔力が高いわけ……。
何故か、私は酷く動揺していた。
何か言い返さなくちゃ。そう口を開こうとするが、声が出ない。
わずかな間だったのだろうが、私には長く感じた。
その時。
「ッツ!!!!」
ロキさんが、大きく身震いした。途端、顔から血の気が消え、自身の体を押さえた。
辺りを警戒するように、立ち上がって見回す。
何か、起きたのだろうか。
そして、その異変は、遅れながらも私にも感じとられた。
「――――!!」
全身を撫でるような、重い『何か』。
それが、私を翻弄した。
「な、何……?!」
息が詰まる。立ち上がることなんて、ままならない。
しかし、数拍して、それも治まる。
「今のって……」
わけがわからず、助けを求めるようにロキさんを見た。
ロキさんの顔は、血の気が全くなかった。
元々、男性にしては肌が白いとは思ったが……今は、まったくもって赤みが消えて、まるで人形のようだった。
「ロキさん?!」
ロキさんは胸を押さえ、机に手を突いて、荒れた息を必死に抑えていた。
寄り添って背中でもさすってあげようと、私も立ち上がった。
「大丈夫ですか?!」
「…………嘘だ」
「え?」
「そんなはずない!!」
何かを呟いて、ロキさんは走り出した。
「え、ええ?!」
そのまま、扉を壊す勢いで開け放ち、外に出る。
とにかく、私は彼に続いて家を出た。
何が起きたのかはわからないが、尋常じゃないのは明らかだ。私がついていって何か出来るのかわからないが……。
一人にしては、いけない。
そんな気がした。
「いた!」
まだ日は高い。ロキさんの真っ黒なローブは、日中ではとても目立っていた。
ロキさんは森に入っていった。次第に緑にまぎれて、彼の姿が見えなくなっていく。
そうなる前に、私は追いかけた。
魔術は駄目だったが、その代わり、おばあちゃんに体術を習っていた。だからそれなりに体力もあるし、足腰だって鍛えられている。それに、森はよく山菜を採りに来るので、歩き慣れていた。
しかし、ここはやはり大人と子供。私とロキさんの間は、広がるばかりだった。
「あ……!!」
姿が、見えなくなった。
私の足が止まった。
どうしよう。ロキさんがどこに向かって走っているのかわからないのに、森の中をむやみに走って、迷って奥に行ってしまったら危険だ。そちらは暗くて木々が鬱蒼としており、魔物なんかもいる。
と、私はそこで気付いた。
夢中で追いかけてきたせいか……その危険区域にいた。
木漏れ日が降り注いでいた森は姿を隠し、今私の周りに見えるのは、夕方かと思うくらい薄暗く、私の背の丈並みに伸びた雑草。
完全に、奥に来ていた。
しかも、戻ろうにも、どちらから来たのかすらわからなかった。
「…………ッツ、ッ!!」
なにか自分で自分を励ます言葉を言おうと思ったが、出ない。
「どっどどどどどうしよう……!!」
声が震えていた。手が無意味に動いて空を掻く。
その時。
「――――ッ!!!!」
家で感じた、全身を撫でるような、重い『何か』。
それが再び、私を襲った。
しかし、先ほどとは何か違かった。
呼ばれて、いる。
『何か』は消えた。
しかし、何故か私の足は、前へと進み始めていた。
私は、それに恐怖よりも、心地よさを感じていた。
頭がぼーっとしてきている。眠る寸前に似た意識の遠のきを感じた。
頭が揺れて、ふらふらする。しかし、足だけはしっかりと地を踏みしめていた。
下半身はしっかりしているが、上半身はゆらゆら揺れる。
ああ、私、今変な格好で歩いている……。
と、思ったとき。
「イザミ君?!」
「ッ!!」
意識が戻ってくる。急に重力がかかったように、体にしっかりとした重みがのしかかった。ふらつきも治まる。
――私、一体……。
「イザミ君、どうしてここに?!」
「……マ、スターさん」
私はぎこちない首を動かして、マスターさんを見上げた。
マスターさんの顔は、ロキさんほどではないが血の気が引いており、焦りがありありと出ていた。走ってきたのか、額に汗もにじんでいる。
私は、何故か回らない口で言った。
「ロキさんが……走っていって……それを追いかけて……」
「ロキが? ……くそ、やはり間違いじゃなかったのか」
マスターさんは舌打ちして、目を伏せて考えこんだ。
しばらくして、マスターさんは私に言った。
「送っていくから、君は村にいなさい」
と、手を差し伸べる。
私は、少しだけ安堵した。これで森から出ることが出来る。
しかし、ロキさんは一体どうしたのだろう。そして、あの『気配』は何?
不安は、消えないでいた。
何故、不安なの?
「……おばあちゃんは?」
「え?」
わからなくて、不安の原因を見つけたくて、とにかく言葉を発した。
マスターさんは不意を突かれたのか、少しぽかんとした顔で私を見た。
確かおばあちゃんは、マスターさんや村の男の人達と一緒に、森に探索に出たはずだ。
「私とリグルがいた班は、一旦解散して、他の班に連絡を取るように行った。リグルは、ロキを迎えに行ったのだが……入れ違いになったようだな」
「何か、あったんですか?」
そう言うと、マスターさんは口を閉ざして、私をじっと見た。
言おうか言わないか、迷っているようだった。
やはり、何かあったのだ。しかも、深刻なこと。でなければ、私に……子供に言えないはずがない。
不安にさせないように……そう思って。
でも、私は……。
言及しようと、口を開いた。
その時。
爆発音が、轟いた。
「「!!!!」」
マスターさんが警戒するように、周囲を見回した。
私も思わず、マスターさんにすがる。
しかし、音からして、この付近ではなかった。
余韻がまだ唸っていた。
しかし、見回しても、どこか吹き飛んだり、燃えたりしている所は、ない。
やはり、ここから少し離れているところからだろう。
不意に、マスターさんの体が強張った。
「……ロキ?!」
その顔は、明らかに恐怖に染まっていた。
マスターさんが私を見る。
私は、マスターさんが何を考えているのか察した。
「わ、私、ここに残って……」
「いや、それは駄目だ」
「でも……」
マスターさんは、今すぐ爆発音のしたところに行きたいと思っている。
おそらく、そこにロキさんがいるのだろう……そして、何か危険なものも。
そんな所に、子供を連れてはいけない。危険だし、足手まといにもなる。だけど、魔物がいるこの森に置いていくのも、危険だ。
かといって、先ほどのように、村に一旦戻って置いてくるという時間は、惜しい。転移魔術を使えば一瞬だが、それすらも。
そして、こうして考えている時間も。
ああ、私のせいで、『また』迷惑を……。
一瞬、鼻がツンとした。やばい、泣きそうだ。
「私なら、大丈夫―……」
と、気を張って言おうとした時。
…… オ、 い で……
「!!!!」
足が、勝手に動いている。
体が、強張った。さっきと同じだ。またあの、全身を撫でるような、重い『何か』。
それが、私の体を支配して、動かしていた。
「イザミ君?」
マスターさんも、私の異変に気付いたようだった。
私は抵抗していたが、足は確実に一歩、踏み出された。
マスターさんの服を握っていた手が、放れる。
「や……だ……」
気持ちが、悪い。
先ほどよりも強い何かが、私を操っている。
耳鳴りが、外の世界の音を少しずつ削っていく。
「イザミ君?!」
マスターさんの困惑した声を背後に……
私の体は、走り出した。
辿り着いたのは、岩肌が目立つ、小高い丘だった。
マスターさん達に連絡を取る為、魔石を使った、あの場所。
私の体は、そこに辿り着いた途端に解放された。
膝に手をついて、私は空気を貪った。
前ここに来た以上に、走っていた。それもそうだ。本当なら、村から数分で着くところを、森の奥まで行くという、なんとも遠回りをして来たのだから。
私はまだ荒い息をしながらも、顔を上げた。
そして……目を張った。
そこには、ボロボロになって、ふらついたロキさんがいた。
その足元や周辺には、赤いものが散乱している。
そして、ロキさんに対峙している、もう一人。
ブロンドの髪に、白いローブを羽織った、清潔そうな男。
おばあちゃん達が探していた、魔術師。
「……ロキッツ!!」
私に追いついたマスターさんが、ロキさんの安否を確かめるように叫んだ。
しかし、立ってはいるが、返事がない。
意識もしっかりあるようだ。しっかり目を開いて、魔術師を睨んでいる。しかし、肩で息をしていて、かなり消耗しているようだった。
私は、ロキさんから魔術師に視線を移した。
「……ッツ?!」
私は思わず、後退った。
魔術師は、何故かこっちをじっと見つめていた。
驚いた様子ではない。単に、観察するように、じっと。
「ッ、アイススピア!!」
その隙に、ロキさんが魔術を放った。氷の槍が、魔術師を貫こうと空を切る。
しかし。
「……ルヴァイン」
と、静かに唱え、放たれた魔力の塊は、氷の槍を消し去り、衰えることなく、ロキさんに襲い掛かった。
障壁を張ったが、威力はそれほど削れず、ロキさんは後方に吹き飛ばされた。
ロキさんは木にぶつかり、ぐったりと倒れた。
その口から、鮮やかな赤が流れた。
それを私は、じっと、見ていた。
目を逸らしたい、けど、逸らせなかった。
「イザミ君、君は逃げなさい!!」
「!」
と、マスターさんが走った。その声に、ようやく視線を動かすことが出来た。
マスターさんの赤い瞳が、一瞬煌く。瞬間、いつの間にかその手には、細身の剣が握られていた。
剣なんて、どこにも持っていなかったはずなのに。
それを、魔術師に向かって振おうと構えた時。
魔術師は、面倒くさそうに、身の丈ほどある杖を掲げた。
そして、マスターさんの射程内に、入るか入らないかの瀬戸際で、それを振り下ろした。
途端、緑色の閃光が放たれた。
そして、その光をまともに浴びたマスターさんは……
「―――ッ、がっ……!!」
胸を押さえて、倒れこんだ。
地に手を突き、悶える。言葉もでないほどに、苦しんでいた。
「――苦しい?」
魔術師が、そう言った。
塞ぎこむマスターさんを覗き込むように腰を屈める。
「そうに決まっているよね。もう、わかるだろう? 僕に抵抗しないほうがいい。僕は、今、誰かを殺そうとしているわけじゃない。
『アレ』は、有無を言わさず魔術を放ってきたから、お返ししただけだ。何度やっても同じなのに、繰り返して……あんなにボロボロになった。それだけ」
と、倒れているロキさんを指差して言った。
マスターさんが、ゆっくりと上半身を持ち上げ、魔術師を睨む。
魔術師はそれを確認して――マスターさんの頭を横から蹴り倒した。
「マスターさん!!」
それに、私は悲痛の叫びを上げていた。
マスターさんが、地に倒れる。そして、そのまま動かなくなった。駆け寄って安否を確かめたいが、体が恐怖で動かない。
「だから……何もしなければ、こちらも何もしないと言ってるじゃないか。わからない人達だなぁ」
と、面倒くさそうに言って、魔術師は彼らに背を向けた。
そして、丘の先のある、綺麗な丸の形をした岩に、両手を置く。
「まったく、あの人も面倒くさいことをしてくれる……えっと、ここをこうして……」
両手から、青白い、魔力の光が淡く光る。
すると、その岩も、呼応するように光り始めた。
「一個」
魔術師が言う。岩の光が増した。
「二個」
更に言う。更に、光が増す。
「これで、最後かな……三個」
と、言った途端、光が治まった。
しかし、今度は、岩にヒビが入った。
小さかったそれは、だんだんと広がっていき……
音を立てて、崩れた。
そして、その中から、淡く光る『物』が現れた。
それは、魔術師が持っている杖の魔石と同じ、緑色の光を湛えていた。
それは、空中に浮いており、魔術師の目と同じ高さにあった。
それは――銃だった。
「やっと……」
その宙に浮く銃を、魔術師は手に取る。途端、光は消え、ずっしりと魔術師の手に納まった。
それを、しばらく眺めていた魔術師は……
ぐるりと回転するように振り向き、私を見た。
「ッ!」
多分、存在を無視されていると思った。なのに。
魔術師は、こちらに歩み寄っていた。
――逃げなきゃ。
しかし、足は動いてくれない。
魔術師が、近づいてくる。
手にした銃を、こちらに向けて。
あと、魔術師の足で、十歩。
九歩、八歩、七歩、六歩、五歩。
四歩。
三歩。
二歩。
一歩。
「だあああああああ!!!!」
「!!!!」
手が届く、瞬間。
ロキさんが、ダブルセイバーを振りかざして、魔術師に襲い掛かった。
しかし、魔術師はそれを横目で見ただけで。
杖をロキさんに向ける。
そして再び、緑の閃光が放たれた。
「――――――ッツ!!!!」
近くで起きたせいか、それとも、魔術師がより一層、強めて光を放ったのか、私の視界は、緑一色になった。
ロキさんの、断末魔が聞こえる。
光と、それが明けた時に見えるであろう光景から逃げるように、目を閉じる。
そして、顔を庇うように上げた手が、握られた。
「!!!!」
振り払おうとしたが、向こうは力強く、私を捕まえていた。
カチャリ、という、小さな金属音が、耳についた。
そして。
「 」
何かが、耳元で囁かれた。
思わず、目を開けた。
目の前にいたであろう魔術師は、消えていた。
代わりに、自身の口元と、地面を、真っ赤に染め上げたロキさんが、いた。
地に膝を着き、自身から出たその赤を、うつろな目で見つめていた。
しかし、私は彼を気遣うことができなかった。
赤い水溜りが、触手を伸ばし、地を這ってこちらに伸びる。
それが私の足元に。
私の近くに。
血が。
お前達の……
お前達の手にかかるくらいならば……
私は、自分でこの灯火を消す!!
つめたい。
つめたい……
つめたい、つめたいつめたいつめたい!!
きつい。いやだ。放して!
くるしい、いやだ、嫌だ
だれか、誰か…………
「誰か、助けて――――――――!!!!」
駆け巡る、赤い記憶。
私は、いつの間にか叫びながら、泣いていた。
恐怖に、駆られて……
何もかもが、怖くて……
だれも たすけには きて くれないのに。
「――っ、イザミ!!!!」
声がする。
聞くと、妙に気持ちが安らぐ声。
ああ、おばあちゃんだ。
おばあちゃんが、こっちに向かって、走ってくる。
そうだったね……
私には、おばあちゃんが、いるじゃない。
おばあちゃんが、何かを叫びながら、こちらに来る。
ただ、それがどんな言葉か聞こえなくて。でも、泣いているってことはわかって。
ああ、泣かせるなんて、私、悪い子だね。
意識が遠のく。
途切れる瞬間。まるで子守唄のように。
耳に残っていた、あの魔術師の言葉が、繰り返された。
やっと、揃った。
時も満ちた。準備も整った。贄も、見つかった。
さぁ、『英雄の孫』。
再 誕 の 儀 を 、 始 め よ う 。