ああ、神様。ぼくが一体、何をしたというのでしょう。
ぼくは他の人よりも成長が遅いのか、背が低いし、顔も……言いたくはないが、童顔、である。髪も肩にかかるほどに長いのも災いしてか……また言いたくはないが、性別を間違えられる時がある。
しかし、断固宣言するが、ぼくは立派な日本男児である。確実である。ちゃんとした物証があるのである。
そう、男子たる者、誰もが持っているものを、ちゃんと持っているのである。
なのに。
なんでその物証が、綺麗に消えているのですか?
深夜のことである。
ぼくはお手洗いに行く為に起きた。暗い廊下をポテポテと歩く。慣れた寮でも、正直怖い。うーん、夕飯のお味噌汁飲み過ぎたかなぁ。いや、随分時間経ってるし違うか。
離れた目的地に辿り着き、さっさと済ませてしまおうとした時だった。
掴もうとしたものが、掴めない。
ああ、ぼく寝ぼけてんだなと、再挑戦する。
が、やっぱり、掴めない。
嫌な汗が、背中を流れた。
ぼくは慌てて、パンツの中を見た。
「………………」
は、ははっ。
ぼく、寝ぼけてるんだ。やだなぁ、ぼくったら。
ぼくの、男子たる象徴が、消えてるなんて。
ぼくは、ゆっくりと手を頬に伸ばした。よくやる、夢と現実の確かめ方法。頬をつねろうとしたのだ。
が、止まる。ここで確かめて、目の前の出来事が、現実だとしたら……。
いやいや、そんなわけない。なんでいきなりこんなことになってしまうのか。ありえない。あるはずがない!!
ぼくは思いっきり、頬をつねった。
………………あー。
痛い。
ぼくは絶望に打ちひしがれ、トイレということを忘れて、その場に崩れ落ちてしまった。
**********
「あれ、勇夜君は?」
「あー? 休みだからって寝てんじゃねぇの?」
「もうお昼になるよ。流石に起きなくちゃ」
「…………起こしてくる」
「ああ、頼むよ、終君」
**********
あの後、ぼくはトイレで色々調べた。とりあえず、全部脱いでみた。脱がなきゃ良かった。そこにあったのは、紛れもない。
……女の子の、体だった。
なにが起きたのかさっぱりわからなかった。しかし、異常な事態だというのは確かである。
みんなに相談、と思ったが、そのためには、自分の異変の起きた体を見せるか触るかしてもらわなくてはならない。その図を想像してみて、寒気がした。口で説明しても、こんな事態信じてもらえないだろう。
とりあえずぼくは、服を着て寝床にもぐりこみ、動揺した気持ちを静めようとした。
が、まったく効果は出ず、むしろ逆に大きくなっていった。寝てみようかと思ったが、一睡も出来なかった。
「勇夜?」
「!!」
名を呼ぶ声と同時に、ドアが開く音がした。終君だ。ぼくを起こしに来たんだ。こっちに近づいてくる音がする。
ちなみに、今、ぼくは布団を被っている。息苦しいが、正直、自分の殻に閉じこもりたい。
「起きろ、勇夜」
ぼくは、返事をしなかった。
「勇夜」
終君が、ぼくを起こそうと揺すった。
「勇夜」
声が少し大きくなった。が、やはりぼくは返事もしなかったし、起きもしなかった。
「…………」
終君は何も言わなくなった。
ぼくは内心、安堵のため息をついていた。このまま、寝かせておいてくれ。今日は休日だし、いいでしょお願い。
「!」
ふと、違和感を感じた。なんか、頭のほうに、触れられた感触がした。
「!!」
ぼくは何が起こるのか察した。
「起きろ、勇夜!」
布団、ひっぺがえされる!!
「うわあああああああ!!」
ぼくは慌てて布団を掴み、更に足で挟み、体に巻きつけるようにした。
おかげで、ひっぺがえされることはなかった。しかし、終君が本気を出せば、簡単に取られてしまう。
しかも、今、気付いた。声も、なんか、違う。いつもより明らかに高い。
「……勇夜? どうした?」
ぼくがいきなり奇声を発したので、終君が不審そうに言った。
ぼくの鼓動が速くなった。どうしよう、バレる。いっそ終君をぶっ飛ばしてどこかに逃げて身を潜めるか……!
物騒なことを考えているとは知らず、終君は今度は心配そうに言った。
「具合悪いのか?」
普段使われない脳みそが、急回転した。
「う、うん、具合悪い」
なるべく声を低く低くと意識して喋る。布団の中からなので、くぐもって、ある程度ごまかせる……かもしれない。
「か、風邪かもしれない。だるいし、喉が変な感じ」
「風邪?」
不意に、視界が明るくなった。
「!!」
布団がひっぺがえされたのだ。完全に油断していた。しかし、顔の部分だけである。
安心した。顔だけなら、以前と変わっていない……納得いかないが。
終君は驚いたぼくをよそに、額に手を当てた。
「熱はない、か?」
「う、ん」
いつ異変に気付かれるかドキドキしながら、ぼくは答えた。大丈夫、真に遺憾だが、顔だけなら大丈夫。
終君は手を離して、ひっぺがえしていた布団も元に戻した。
「一応、安静にしていろ。食欲は?」
「……ある」
「じゃあ、おかゆ作って持ってくる。風邪薬も。何か他に欲しいもの、ある?」
「ない」
「そうか、わかった」
そう言って、終君は部屋を出て行った。
ぼくはそれを見送ったあと、自己嫌悪に陥った。
ああ、ごめん終君。ぼく、いたって健康体なのに。単なるぼくのわがままで仮病までして、君の手を煩わせて申し訳ない……!
とにかく、今はしのげた。けど、根本的な解決をなんとかしないと、これが何回も続くことになる。みんなに言ってしまえば早いかもしれないが……やっぱだめだ。こんなもの見せるわけにはいかない。恥ずかしい。そんなこと言っている場合じゃないんだけど。
ぼくは布団から顔を出して、考え込んだ。
**********
が、今更何かいい案が出るわけがなく、ぼくは再び絶望の中にいた。
そんな中、終君がおかゆと風邪薬を持ってやってきた。
「一人で食べれる?」
「うん、平気」
いたって健康体のぼくは、朝ごはんを食べてなかったので、おなかが減っていた。起き上がり、おかゆの入った鍋を貰う。……あまり凹凸の無い体なので、見た目でバレることはないと思うが、少し不安だ。
だが、それも食欲の前では綺麗に消え去った。
「おいしい?」
「うん、おいひ」
病人用に薄味で作ってあるから少し物足りない感じがするが、文句は言えない。
それを食べ終わったあと、風邪薬を飲んだ。健康状態で薬飲んで大丈夫かなぁ……。
「熱、ある?」
「え?」
突然、額にひんやりとした感触がした。終君が、再び熱があるか確認する為に手をそえたのだ。
そうだとわかった瞬間、心臓が跳ねた。
「……少し、あるな」
「そ、そう?」
……終君の手って、こんな大きかったかな。冷たくて気持ちいい。
「ん、氷枕も作るか」
「あ……」
手が離された。あー、もうちょっと置いといて欲しかったなぁ……という、物欲しそうな声が漏れ、慌てて口を閉じた。終君は気付いていないようだ。
終君は鍋や薬を乗せたお盆を持って立ち上がった。
「じゃあ、ちゃんと寝てるんだぞ。氷枕作って持ってくるから」
「うん」
少し寂しくなった。ずっと一人で寝ているのもつまんないし、もう少しいてくれないかなぁと思う。
部屋のドアが、静かに閉められた。ぼくはそれを見送って、大人しく布団に潜る。
終君は氷枕を作って持ってくると言ったが、それはいつ頃になるだろう。早く持ってきてくれるといい。そうすれば終君が――。
おい、待て。さっきからなんだ。
ぼくは飛びあがって、自身の頭を掴んだ。
さっきから、何かおかしい。やたらと終君を意識していないか。気のせいか、手をそえられた時、ちょっとドキッとしていなかったか。
ぼくの脳内に、考えたくも無いことがよぎった。
――もしかして、精神も女の子になってきているのか?
「――ッツ?!?!?!」
自分で思っといて、混乱した。
それはまずい。今は心が男だから、体が女の子だと困るのである。なのに、心まで女の子になったら、ぼくはどうなる。男、遠藤勇夜は完全に消失して、新たに女、遠藤勇夜が誕生してしまう!
いや、仮にぼくが完全に女の子になるとしても……終君を意識するとは何事だ!
終君は友達である。そう、友達。ただの友達。確かに、歳君みたいな美形ってわけではないが、結構整った顔をしているし、背は高いし、料理は出来るし、優しくて頼りになるし、笑うと結構可愛いし……
って、だからぼくは何を考えているんだああああッ!!
いいか、ぼく! 終君は友達! 終君は友達終君は友達終君は友達終君は友達終君は友達終君は友達…………
あああああああどうしたぼくー! なんか、急激に恥ずかしくなってきたー!!
なんだか顔が異様に熱い。なのに、体は寒気を感じる。なんか汗も出てきた……。
「あ、……れ?」
視界が歪んだ。起き上がっていた上半身が、後ろに倒れる。
ぼくは、そこで意識を失った。
**********
「あ」
冷蔵庫を見ると、氷が無かった。
自転車で五分くらいのところにコンビニがある。今から作るより、買ってきたほうが早いだろう。
北海と天方に出かけることを告げ、目的地に向かった。
が、あと少しというときに。
「あああああっ! 終クンだぁっ! しゅうくううううううううん!!」
「!!」
思いっきり脇からタックルを喰らった。
自転車もろとも、盛大な音と共に倒れこむ。
急いでいたし、不意だったので、受身もとれなかった。不覚。そしてとても痛い。
俺は、タックルを決め、見事に俺の上に乗っかっているやつに言った。この耳に障る猫なで声は、知っているものだった。
「……殺すぞ、乙女」
「きゃあっ! なんて乱暴な言葉! あの蛇に変なこと吹き込まれたのね!」
「どけ」
「いやよ。ふふ、初めて会った時から数週間、幾度と無くアタックしては見事に避けられ……。しかし今回はうまくいったわ。この期を逃すもんですか!!」
霊術で吹き飛ばした後に、ぶん殴ってやった。
「……ひ、ひどいっ! 一途な女心を暴力で無下にするなんて! しかも浄化の拳ってイタタタタタ!」
「黙れ。男なのに女心とか言うな。キモイ。そのまま浄化されろアヤカシ」
昼間だったが、人がいなくてよかった。おかげで思いっきり殴れた。
殴られた所から青い光を発しながら、乙女は泣き崩れて何かを嘆いていた。
この乙女は、あの勇夜に付きまとう悪質変態者の蛇……辰巳の弟で、自身もアヤカシである。兄同様特殊であり、浄化の力一発など無効にしてしまう。普通のアヤカシなら、そんなこと出来ずに消えてしまうのに。やっかいなことこの上ない。
いっそ今、このまま叩きのめして消してやろうかと思ったが、そんなことをしている暇は無い。早く氷を買って帰って、勇夜の為に氷枕を作ってやらないと。
「あれ?」
不意に嘆きの声が止み、さっきの猫なで声とは違う声で、乙女は驚いたように言った。
ちょうど俺は自転車を起こしたところで、目の前にちょうど乙女がおり、見たくもないのに視界に入った。
乙女は、目を見開いて俺を見ている。
「見るな。汚れる」
「ひ、酷いっ! てか、終クンの体大きいわよ?!」
「は?」
アヤカシもボケるのか。……どうでもいい発見をした。
さっさと乙女にかまわず行かなくては。時間を食ってしまった。勇夜が待っている。
「……あちゃー、失敗しちゃったみたい……“最高傑作”だったのになぁ……」
ペダルを漕ごうとした足を止めた。
……なんだか、とても引っかかる言葉が……
振り返ったが、既に、乙女はその場にいなかった。