■  嵐来て地固まる 【2】



「……なんでここにいるの?」
 ぼくが男の子に向かって放った第一声。
 男の子は頬をかいて、言うか言わないか迷っているような顔をしていた。
 ぼくは返事が帰ってくる間に、男の子の容姿をざっと見た。
 年はぼくよりは下。白いワイシャツに、サスペンダー付きの黒の短パン、そして黒の革靴。前髪は真っ直ぐ切られている。ざっと見、一昔前のお坊ちゃんのようだ。

 しかし、そんな格好をしていても、不思議ではなかった。
「君、幽霊でしょ?」
 男の子は驚いた顔をして、コクンとうなずいた。
 幽霊がこんなところでうろうろしているとは……ぼくはのっそりと起き上がった。そして、男の子と正面で向き合う。
「もう一回聞くけど、なんでここにいるの? 君が幽霊なら、行くべきところがあるはずだよ」
 戦士としてのお仕事、その一。幽霊を見つけたら話を聞いてあげること。そして、成仏させてあげること。こういう浮遊霊でも、いつかはアヤカシになってしまう可能性がある。だから、その前に対処するとのことだ。
 しかし、基本的に力は使わないのが掟だ。なにか遣り残したことがあったのなら、それを遂げられるように勤める。もしくは言葉で諭して、納得してもらうしかない。
「……ぼく、ここから離れられないんだ」
 男の子から返ってきたのは、そんな返事だった。それから察するに、地縛霊の可能性がある。そういう人達は攻撃的な人が多いから、ぼくは悟られないように身構えた。
「離れられないって、離れようとしたことがあるの?」
「うん」
 地縛霊って大抵、その場所に未練や強い思いがあるからその場に留まっている。だから、そこから離れようと思うこと自体、あまり少ない。
 何か事情がありそうだな……それが成仏のきっかけになるかもしれないから、もっと探ったほうがいいよね。
「よかったら、何で君がここにいるのか教えてくれない?」
 男の子は不審そうにぼくを見たが、やがて小さくコクンとうなずいた。

 男の子の名前は、栄太というらしい。ぼく達は軽く自己紹介した後、お互いに正座で正面向き合って話し合った。
「ぼく、犬と散歩に来てたんだ」
 栄太君はそう言うと、だんだんと表情が暗くなっていった。
「だけど、途中で迷っちゃって、足滑らしてここに落ちちゃったんだ。ここってすごい急斜面でしょ? ぼく小さいし力ないし、結局そのまま死んじゃった」
「うわー、ぼくもおんなじだよ。迷ってここに落ちたの」
 ここから脱出できる術を持っているのだが、ぼくもここでご臨終してしまうような気がしてきた。こんな嫌な偶然あるのだろうか……。

「だけど、一緒に散歩してた犬がね、ここには落ちなかったんだ。あいつ、ぼくが落ちたの見て、自分も穴に落ちようとしてくれたんだ。ぼく、とっても嬉しかった。
あいつはぼくが小さい頃、足が悪くて他の犬からいじめられてたとこをちょうど助けて、それから一緒に育ったんだ。ぼくも、お父さんがザイバツのジュウチンってのをしてたから、みんなから嫌な目で見られて。だからぼくとあいつはどこか似てて。
すっごく仲良かったんだんだ……だけど」
「だ、だけど?」
 栄太君の表情が、どんどん怒りに染まっていった。まるでふわりと髪をさらう春風が、瞬間に全身を持っていってしまう、切り裂くような凍てつく豪風に変わったようだった。
「あいつ、途中で一目散に逃げたんだ!! んのワンコロ!! 友達だと思ってたのに!!!!」
「えぇ、酷い!!」
 おそらく、ここから出て犬を探そうとしていたのだろう。でも、恨みで知らず知らずのうちに、この土地に縛られていたに違いない。ここで、裏切られてしまったんだから。

 ぼくの脳裏に一瞬、あの卵野郎がよぎった。
 おもえば、寮を出たときよりも随分気が落ち着いていた。そうして考えると、あの時どうしてあんなに言ってしまったのだろうという後悔が押し寄せてきた。
「……ぼくもね、友達と喧嘩して出てきちゃったトコなんだ」
「喧嘩?」
「うん。ほんと、なんで喧嘩したんだろ。確かに卵だらけは嫌だけど、あそこまで反発することなかったのにな。
言葉だって、もっと他に言い様があったのに」
 そういえば終君があんなに躍起になっていたの、始めてみたかもしれない。今更何かぼくが言っても、きいてくれるかな……。

 そう考えをめぐらした瞬間、ぼくの全身を嫌な感じが貫いた。
 ぼくは飛びずさり、『それ』と距離を取った。
「栄太君、ちょっと隅っこのほうに隠れてて!」
 どうしたのかと不安そうにしていた栄太君に、ぼくは言った。栄太君はぼくの面持ちを見て何かくると察し、転びそうになりながらもそれに従う。
 栄太君が見てわかるほどに、ぼくは緊張していた。
 睨む先に、どんどん黒いものが集結していた。それは今まで見たことがあるものだったが、ぼく一人だけではまだ対峙したことがないものだった。
 集結したそれは形を取り、大草原の飢えた獣のような視線でぼくを舐めるように見、狂気にも歓喜にも似た、耳を貫く咆哮を発した。
 背中に汗が一筋流れていくのがわかった。膝が震えそうになるのを何とか押し止め、ぼくは何があっても大丈夫なように構えた。
 それは、青白い湯気のような光を体から放っていた、熊のような形を取ったもの。
「こい、アヤカシ!」

 誘いに乗るように、アヤカシは太くて鋭い鍵爪を振りかざした。それを後退して避け、ぼくは拳をアヤカシに向けた。
砕身!!」
 敬太君に習った、霊力をぶつけて相手を吹き飛ばす術。霊力をまとめて、放出するだけだから比較的簡単らしいが……。

 ぽしゅっ。

 拳から出たのは、そんな情けない音だけだった。
 爪がぼくの頬を掠めていった。頬に一筋の線が描かれ、そこから紅い液体がにじむ。
 思い出したくもない過去の経験により、反射神経と素早さが発達していたぼくは、なんなく繰り出される鋭利な爪を避けていった。
 しかし、情けないことに体力がついていかず、ぼくは既に肩で息をしていた。
 ぼくは実を言うと、まだ霊術をちゃんと習得していない。ものすごく集中して、やっと出せるようになってきた程度だ。もちろん、実戦では使えない。
 だから距離をとって時間を稼ごうとするが、アヤカシというのは霊のせいか移動が速い。すぐに間合いを詰められてしまう。
 アヤカシが出たんなら、買出しに出かけた歳君と敬太君が気付いて来てくれると思うが、それまでぼくが持ちそうになかった。
 ぼくの脳裏に、再び卵星人の顔がよぎる。あいつなら、歳君達よりも早く来れると思うけど……
「勇夜?!」
 幻聴まで聞こえた。

 ……いや。
「終君?!」
 ぼくは再びアヤカシから離れて、視界をめぐらせた。そして、この穴の縁に何故か犬をつれて風呂敷を持った終君を見つけた。
 終君はアヤカシの姿を見ると、風呂敷を置いて犬に待てと言った後、いつも眠たそうな眼を鋭くさせ、地を蹴った。
 アヤカシがその終君に気が取られた隙に、ぼくは再び拳を向けた。
炎流羽々!!」
 やっぱり充分に集中出来ず、細く弱いながらも放たれた炎はうねり、蛇のようにアヤカシを縛り付けた。しかし、それはすぐに振りほどかれ掻き消えた。
 だが、それで終君からの注意は逸らせた。
 終君は跳んだ勢いのまま回転し、アヤカシの頭に蹴りを叩き込んだ。
「せりゃッツ!!」
 そして、よろめいたアヤカシに、ぼくが飛び蹴りを決めた。頭をやられた上によろめいたから、今ので完全に足がもつれ、アヤカシは地面に倒れこもうとした。
 しかし、悠長にそれを待っているわけもいかない。着地をした終君は再び地面を蹴る。
 そして、振り上げ、力を溜めた拳を、アヤカシの腹部に叩きつけた。
 浄化の力を持った拳で殴りつけられ、アヤカシは悶えながら、その部分から消えていった。

「う、うわぁぁ〜〜〜」
 ぼくは腰が抜けて、妙な奇声を発しながら額ににじむ汗をぬぐった。
 ぼく一人じゃ、やられてたかもしれない。ぼくはチラリと終君のほうを見た。
 終君は、ぼくに手を差し伸べていた。一瞬意味がわからなかったが、すぐに悟る。でも、喧嘩した後だし、ぼくはそれを取っていいのか迷った。そうしていたら、終君は無理矢理ぼくの手を取って、立たせてくれた。
 それから終君は、上においてきた風呂敷を持ってきた。それに続いて、一緒についてきた犬も来る。

 その犬を見て、栄太君は叫んだ。
「昭利?!」
「しょーり?」
「ほら、さっき言った犬のことだよ!!」
「あ、栄太君置いて逃げちゃったって犬?」
「うん!」
 どうやら本当らしく、犬は終君の後ろに隠れるようにして、こちらを伺っていた。
「逃げた?」
 終君は状況がわかっていないので、首をかしげていた。仕方がなく、ぼくが栄太君とその犬……昭利の関係と、二人の間に何があったのかを話した。
 それで、終君は頷いた。
「そうか、ようやくわかった」
「? 何が?」
 ぼくに聞かれると、終君は風呂敷を開いた。
 その中身を見て、ぼくは息を呑んだ。
 それは、土で汚れた骨だった。
「寮の近くの枯れた池で見つけた。
多分だが……この犬は、誰かに助けを求めに行ったのではないか? だけど足が悪いから誤って池に落ちて、そのまま……」
 言葉が出なかった。
 ご主人の、それ以前に友達の危機から逃げ出していた、酷い犬だな、と思っていた。でも、そうじゃなかった。
「そう、か。そうなんだね、昭利」
 栄太君は、そっと昭利を抱き締めた。昭利はくぅん、と小さく鳴いた。まるで、謝っているみたいで。それに、栄太君も気付いて。
「ぼくこそごめんね、勘違いしてた。ぼくのほうこそ、お前のほうを探しに行けなかったよ。ごめんね、昭利」
 その場の感情で、よく考えもせず。

 それを見て、何故か嬉しいと思った。
 そう、栄太君がなんだか、ぼくに似てると感じたからだ。財閥の重鎮である父を持つために、みんなから虐げられていたから。そして、仲たがいしていた友達と、ちゃんと仲直りできて。
 それで、まるで自分を見ているみたいで、嬉しいと感じた。

 いつの間にか、二人……一人と一匹の姿が、光輝いていた。
 宗太君をこの地に縛り付けていた原因が無くなったから。昭利は、やっと友達のもとに行けたから。
 ようやく、行くべきところに行ける。
「ありがとう」
 不意に、栄太君が言った。
「きみ達がこなかったら、ぼく達がこうして再会することもなかったよ。本当に、ありがとう」
 そう、言って。

 ここには、ぼくと終君だけになった。



 跳躍力を高める霊術で穴を脱出し、ぼく達は帰路についた。
「にしても、財閥ってことは、五十年以上前だよね。なんでそれまで昭利は出てこなかったんだろう。幽霊なら足が悪いとか関係ないでしょ?」
 ぼくの疑問に、終君は少し考えてから言った。
「……多分、勇夜が宗太に接触したからだと思う」
「ぼくが?」
 終君は頷いた。
「生前に繋がりがあったものは、後々の生でも繋がりをもつと考えられている……と、どこかで聞いたことがある。霊のときでもそうなんだろう。
記憶が正しければ、五十年前には戦士はいなかった。もちろん寮には人がいなかったから、助けを呼べなかった昭利は眠りについた。でも、宗太と勇夜が接触したことにより、刺激されて昭利は目覚めた……といったところか」
「そっかー……」
 それじゃあ、ある意味ぼくがあそこに行ったことは正解だったのかな。戦士としても、人としても、いいことをしたと思う。

 そして、ぼくはあの穴に入ってしまった理由を思い出した。
 ちょっと戸惑ったが、ぼくは口を開いた。
「……んー、終君」
「?」
「ぼく、お腹すいたな。玉子焼き食べたい、玉子焼き! 甘いやつね!」
 で、やっぱり恥ずかしくてうつむいた。
 友達と喧嘩なんて始めてだから、仲直りの仕方もよくわからないが。

 でも、終君はぼくがそう言った意図をわかってくれたみたいで、少し笑いながら頷いた。


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