敵を仕留めた喜びのような、甲高い鳴き声が響く。

「――終君ッ!!」
 同時に、ぼくの叫びも。

 終君の肩から、赤い華が散る。そのまま終君は苦しそうに顔を歪め、倒れた。
 そこに、止めを刺さんとばかりに、アヤカシの鍵爪が襲い掛かる。
「させるかぁ!!」
 ぼくの咆哮と共に、霊力の塊が放たれる。避けられたが、少しかすった。しかし、さっきの攻撃で、アヤカシの体勢が崩れ、少し隙ができた。
 ――充分だ。

つぶれろおおおお!!

 再び響く、甲高い鳴き声は、悲鳴。
 血の代わりに、青い光が霧散した。

 ぼくはそれにかまわず、倒れた終君に駆け寄った。
「終君、大丈夫?!」
 終君は起き上がろうとしたが、腕に力が入らないのか失敗し崩れる。ぼくは慌ててそれを支える。終君は青ざめていて、脂汗がにじみ出ていた。
「終君?!」
「……勇夜、怒りは……アヤカシの糧になる。気をつけろ」
 息さえ難しそうな状態で、終君はぼくにそう忠告した。
「何言ってんの君! は、はやく乙女先生に見せなきゃ……!!」

 ぼくは終君に肩を貸して、寮へと急いだ。



■ 灯火



 寮に着き、乙女先生を呼んで診察が終了した時には、終君はぐったりとしていた。目を開けることも辛いようで、今はベッドに横になっている。熱も出てきたようだ。
「アヤカシの瘴気に当てられたんでしょう。薬も飲ませたし、終クンは耐性強いから大丈夫。しばらくは辛いと思うけど、ちゃんと回復するわ。
あたしに出来ることはこれだけ。学園にいるから、もし容態が変わったら呼んでね」
 乙女先生はそう言った。それに安心するが、すぐに掻き消える。
 回復するまでは苦しむんだ。そんな状態に、ぼくのせいで……。

「おっと、勇夜君!」
 敬太君が、ぼくの両肩を強く叩いた。それから、ぼくの顔を覗き込んで笑いながら言う。
「悲しむと、それが終君の中の瘴気が反応して活性化させちゃうかもしれないよ。元気出して」
「で、でも……ぼくがボーッとしてたから、終君がぼくを庇って……」
「でももかかしもねぇ!」
 今度は、歳君が後ろからほっぺをつねった。
「いででっ」
 ぼくが振り払おうとする前に、歳君は手を離した。そしてため息混じりに言う。
「あいつ、いっつも先手切るわ囮になろうとするわ盾になろうとするわで、怪我ばっかしてたからな。これで少しは自分の体を心配するようになるだろーよ」

 それに、敬太君がクスクスと笑った。
「おや、トシ。やっぱり君も終君が心配?」
「ち、違っ! オレは柄にも無く落ち込んでる勇夜をだなぁ!」
 歳君は一気に赤くなり、敬太君はますますおかしそうに笑う。更に歳君は赤くなって反論するが、敬太君は適当にあしらう。

 ぼくはそんな二人を見て、“笑った”。
「うん。落ち込むなんて、ぼくらしくないね。よし! こうなったら、終君の面倒はぼくがしっかりきっちり看る!」
 そう、くよくよするな。ぼくはミスター・ポジティブを目指すんだからね!


「……意気込んでるね」
「だな。全く……」
 そんなぼくをよそに、敬太君と歳君は目配せして、ため息を漏らした。


 が、そう意気込んだ矢先、不安がぼくを襲った。


 敬太君の携帯が、突然鳴った。
 その着信音に、敬太君が固まった。歳君も、敬太君ほどではないが、表情が硬くなる。

 敬太君は、ぎこちない動きで携帯を取った。
「……はい、何、お母さん」
 この着信音は、敬太君の実家からのものだった。そして、相手は大抵、敬太君のお母さんだった。

 敬太君のお母さんの叫びは、携帯から盛大に音漏れしていた。
敬太君助けてえええええええ!! お父さん今日も夜勤でいないのおおおおおお!! そんな時に限って奴が! 奴がでるのよ!! お母さんもう我慢できないいいいいい!! そっち行っていい? ねえ敬太君、お母さんお父さんが帰ってくるまで寮にいちゃだめえええええ?!』
「お、お母さん落ち着いて……」
 敬太君は携帯を腕いっぱい離して、叫びがひと段落してから、そう言った。


「……と、いうわけで、僕は実家に帰るよ……お母さんを太郎さんから護衛するために……」
 携帯を閉じて、数分の会話だけで精も根も尽き果てた敬太君は、そう言った。いつもの微笑みもする気力もないようだ。

 ちなみに太郎さんとは、家庭内害虫のことだ。

 そして、不幸は続く。

 敬太君が寮を出た後、今度は歳君の携帯が鳴った。
 その着信音に、歳君も敬太君同様固まる。

 歳君も、ぎこちない動きで携帯を取った。
「……なんだ、父さん」
 この着信音は、歳君のお父さんの携帯からのものだった。

 歳君のお父さんの叫びは、携帯から盛大に音漏れしていた。
歳君助けてえええええええ!! お父さんお母さんに殺されるうううううう!! いやッ! 殺される前に、去勢される?! いやだ世間様にもう顔向けできないいいいい!! 歳君、お母さんを説得してえええええええ!!』
「このクソ親父……今度は何やったんだよ……」
 歳君も携帯を腕いっぱい離して、叫びがひと段落してから、そう言った。

「……と、いうわけで、オレも家に帰んなきゃなんねぇ……父さん守る為に……」
 携帯を閉じて、数分の会話だけで精も根も尽き果てた歳君は、そう言った。なんとか笑っているが、引きつっている。


**********


 かくして、ぼくは一人になってしまった。

(どうしよう……)
 終君を看病すると意気込んだものの、何をしていいかわからない。大体は乙女先生や敬太君がやってしまったし。

 とりあえず、寝ている終君の様子を見に行くことにした。
 なるべく音をたてないように扉や足音に注意して、部屋に入る。
 苦しそうな荒い息が、耳に入った。そして、心臓が握り締められるような感覚に襲われる。
 ――本当にぼくは、悪いことをしてしまった……。

 ゆっくりと、寝ている終君に近づく。血色の良くない顔が見える。ベッドの傍らに座り、それを見つめる。
「ん……」
「!」
 すると、終君が目を覚ました。
 ぼくはどうしたらいいかわからず、その場でおろおろした。注意していたのに、怪我人を起こしてしまった。
 悪い気がしたので、すぐに去ろうかとも思ったが、それじゃ本当に無意味に起こしてしまったことになるし……いや、意味はないけども。

「……ゆうや?」
「な、なに?!」
 息が抜けるような声で呼ばれる。それに縋るように、さらに近づく。
 寝起きのせいでか虚ろな目が、ぼくを捕らえた。そして、更に息は漏れる。
「……無事?」
 短い言葉に、ぼくは泣きそうになった。
「ぼくは、大丈夫だよ」

 アヤカシの負の感情。凍るような寒気と、繰り返す吐き気、何かがうごめき体中を走り抜ける感覚。それが固まったようなものが瘴気だ。
 そんなものに今侵されているのに、なんで他人の心配なんてできるんだ。

 緩む涙腺をなんとか引き締めて、ぼくは必死に“笑った”。
「君のおかげだ」
「……勇夜」
 終君が、ふとんの中からゆっくりと手を伸ばしてきた。それは、ぼくの頬に触れ……

 頬をつままれた。

「?!」
 いきなりの行動に驚いていると、終君は指でまだぼくの頬を引っ張ったまま、言った。
「勇夜、俺は、そんな顔してもらうために、こんなことになったわけじゃない」
 終君は、かすれた声で、けど、しっかりした口調で言った。

 それに、当惑する。
 「そんな顔」って、なんだ? ぼくは、今、どんな表情をしている?
 終君に心配かけたくないから、“笑って”いたんだ。

 そうわかっても、終君が言いたいことがわからなくて、首をかしげる。

 終君は手を頬から離した。それから疲れたようなため息をひとつ落とす。
「……勇夜、天狗事件の後、病院に、俺いただろ」
「え? うん……」
 天狗の事は、終君にとっては思い出したくない事だろう。それをあえて語る意図が見えず、ただ頷く。

 天狗が終君を利用して、復活しようとした事件。その時、まるで卵から孵る雛のように、力を取り戻しつつあった天狗の翼が、終君を引き裂いた。
 それに加えて、元々天狗という、力は弱っているものの、かつてはこの町で猛威を振るったアヤカシを住まわせていたので、終君の体は弱っていた。
 だから事件の後、彼は病院に担ぎ込まれて、四日間も意識がなかった。お医者さんが奇跡だと言ったのを、耳にした。

「あの時、正直、死んでいいと思った」
「!!」

 言葉が、詰まった。
「キミ……何言ってるの」
 なんで終君が死ななきゃならない。お母さんもお兄さんも、殺したのは天狗。すべて悪いのは、あいつなのに。終君は悪くないのに。

「俺の世界では、母さんと初生が中心だったから。二人がいないのなら」
 視線はぼくから天井へと移動し、虚ろな目は、天井を見ているのか、それとも別の何かを見ているのか、判別ができない。
「……俺もここにいる意味がないかもしれないと思ったから」

「そんなの嫌だよ!!」
 たまらなくなって、叫んだ。
「ぼくは嫌だよ! 終君いなくなるなんて、嫌だ!」
 目頭が熱くなってきて、何かが出る前に、痛くなるくらい固く閉じる。
「だって、ぼくの中心には、キミがいるもん! キミがいなくなったら、ぼくは……」

 事件が終わって、戦士になって、寮に住むようになって、部屋が一緒になって。
 最初は、どう接していいかわからなくて、でも、ぎこちなく接しているうちに、無表情だと思っていたその顔は、意外と動いていて。
 霊術とか、町についてのこととか、勉強とか、料理とか、色々教えてもらって、いつの間にか、そばにいるのが当たり前になっていた。

 それがいなくなってしまうなんて、想像もできない。したくもなかった。
 だから、「死んでいい」なんて単語が、重く、冷たく、ぼくにのしかかった。

 嗚咽が漏れそうで、今度は口を閉じる。おびえるように肩が震えるが、抑えることができない。声と涙を抑えるのだって、もうできそうにないのに。


「……ふふ」

 不意に、もれたような笑い声がした。
「っ、ははっ、く……」
「?」
 涙がこぼれないように祈りつつ目を開くと、そこには、起き上がっておなかを抱えている終君がいた。
 笑いを必死にこらえているらしく、うずくまった体が痙攣している。

 顔が一気に熱くなるのがわかった。

「な、な?! なにそれ! ひどい!! なんで笑ってんのキミ―――ッ!!」
 しかも、起き上がれるほど回復しているなんて。さっきまで本当に死にそうな顔色しといてなんだそれは!

 終君は涙目で、笑いをなんとかこらえて言った。
「……勇夜は、やっぱりそのほうがいい」
「へ?」
 息を整えるように深く息を吸い込んで、吐く。そしてそのまま、ふっと微笑む。
「泣いたり、笑ったり、怒ったり、我慢なんかしないで、そうやってあるがままをさらけ出すのが、勇夜らしい。
悲しいなら悲しいで、そうした顔をしてもらったほうが、安心する」

「我慢しないで、あるがまま……」
 そこで、終君が言いたいことが、わかる。

 ぼくはさっき、終君に心配かけないように、無理をして笑顔を作っていた。
 終君は、それが許せなかったのか?

「天狗の事件の後、死んでもいいかなって思った時」
「!」
 再び、体になにか重いものがのしかかるような圧力を感じた。
 しかし、終君は表情を崩さず……むしろ、深くした。
 その目が、不安にかられるぼくを捕らえる。
「あの時、直後に、お前が来たんだよ。『起きた―――――!!』って、頭に響くような大声で」

 瞬間、その時のことが脳内に展開されていく。
 ……あの時も、終君が寝ている脇で、心配でずっと見ていた。目を開けたときは、本当に安心して……確かに大人気なく叫んだ。

 思い出したのか、終君はクツクツと笑い始めた。
 再び顔が火照ってきたので、躍起になる。
「笑うな! 仕方ないだろ! あの時はキミが生きていたことに嬉しくて――」
「うん。俺も嬉しかった。他人だった勇夜が、俺のことここまで心配してくれて、あそこまで喜んでくれて」
 本当に嬉しそうにほころぶ顔を見て、ぼくも釣られて微笑む。
「他人じゃないよ。あの時点で、ぼくとキミは、友達だったよ」
 終君はそれに少し驚いたようだったが……しばらくして、照れくさそうにはにかみながら頷いた。
「あの時、あの笑顔を見て、思った。……新しい、中心ができたって」
「新しい、中心……ぼく?」
「そう。大切な友達」

 ……自分から言っといてアレだが……人から言われると、実に赤面ものの単語である。
 しかし反面、とても嬉しかった。終君がそんなことを自分から言うのは、初めてのことだ。

「そのことに気づかせてくれたのが、勇夜の笑顔。でも、無理して作った笑顔は、嫌」
 きっぱりと言い放たれて、ぼくは戸惑った。嫌といわれても、無意識にしていたのだから、どうにもしようがないのだが……。あるがままというのも、難しいんだぞ。

 ふと、ぼくは思った。
「あ……じゃあ、もう、死んでもいいとか思わない?」
 ぼくっていう新しい中心ができたのならと、我ながら恥ずかしいことを考えだが……そういうことだよね?
 終君は頷いた。いつもの眠たそうな目だが、しっかりと見据えられ、嘘はないと確信する。

 体の重荷が、一気に消えうせた。
「そっか、よかった」
「あ、それ」
 終君が、ぼくを指差した。
「その笑顔」
 嬉しそうな声に、ぼくが笑っているんだということがわかった。
 無意識で気づかなかったが……って、別に気づかなくていいか。ありのままがぼくらしいのなら。


 でもやっぱり気恥ずかしいので、話題を変えようと試みる。
「にしても、酷いよキミ。死んでもいいとかカミングアウトしたかと思ったら、いきなり笑い出すんだもん」
「あれは、必死な勇夜が、嬉しかったから」
 思い出し笑いし始めた終君に、ぼくは話題の変更に失敗したことを悟った。

「もう……。今日の終君、いつになく饒舌で、しかも意地悪だよね」
 終君は笑いながら言葉を紡いだ。
「そうだな。ここまで自分が思っていたことを言ったのは初めてだ。……弱っているせいかな」
 その言葉で、気づいた。終君は、いつのまにかものすごく元気になっているけど、ちょっと前までは、ぐったりとしていてこんな会話できる状態じゃなかった。
「し、終君寝てなきゃだめだよ! うわわ、ぼくなんてことを! キミは病人なのに!」
「そう言われても……何故かいつの間にか楽になってるんだが……」
 本人も当惑した様子だ。
 ……乙女先生が飲ませた薬が効いたのかな。言ったら、嫌な顔しそうだが。それに、天狗を住まわせていたせいで、こういうものの耐性がついてしまったらしい。それも関係して、こんな早い回復になったのだろうか。

「……勇夜がそばにいてくれたからかな」
 ポツリとこぼした言葉に、ぼくは、全思考が止まった。
 体の血の気が引いたと思ったら、再び血が舞い戻り、一気に熱くなる。
「な、な、なんで今日のキミ、そんな恥ずかしい台詞言えるのっ……!」
 ぎこちないぼくをしばらく眺めてから、終君は微笑んだ。
「素直になったと言ってほしいな」
「っ?! ええ?! なに、じゃあキミ、口に出さないだけでいつもはそんな恥ずかしいこと考えてるの?!」
「さあ……どうだろうなぁ……」
 意味ありげに笑む終君は、いつになく楽しそうだった。いや、ぼくが慌てるのを見て、完全に楽しんでいる。

「くっ!」
 ぼくは、視線に耐え切れなくなり、終君をベッドに押し戻して、上から布団を投げるようにかけた。
 いきなりのことだったので、あっさりと終君は布団に収まった。
「とにかく! 元気になったとしても、いつぶり返すかわからないから! 今日は一日寝てること! いいね?!」
「……わかった」
 文句を言いたそうな顔だったが、終君もさきほどのだるさを思い出し、ぶり返すのが嫌だと思ったのか、おとなしく言うとおりにしてくれた。

 夕飯のこともあるし、食堂に戻ろうと、ぼくは部屋を出ようとした。

 が。

「………………」
 服を、何かが掴んでいる。
 きしむ音がしそうなぎこちない動きで、足元を見ると、ズボンが掴まれている。

 正体は言うまでもなく……そいつは楽しそうな顔で、言い放った。
「俺は大人しく寝るが、勇夜は行っていいなんて言ってない」
「ちょっと……キミにそんな権限が……」
「酷い。寂しい病人の小さな願いをむげにするのか。鬼。悪魔」
「あのねぇ……」
「寝るまででいいから」
「子供か、キミは」
「まだ十五。子供だ」
「……そうだったね……」


 結局ぼくは折れて、終君が寝るまで一緒にいることになった。
 まぁ、薬が効いてきたのか、おかげですぐに眠ってしまったけど……ぼくはそれからもしばらく、寝顔を観察していた。

 彼がここまで自分のことを語ったり、わがままを言ったりするのは、初めてだったから、なんだか感慨深いものがあった。
 なにか、一段階進んで、終君に近づいたようだった。

 自然と、また笑顔がこぼれた。



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