真実は時に、




 私が斉藤家に勘当されたのは、まだ成人して間もないころだった。
 勘当といっても、そのまま放置されるわけではない。勘当の際に様々な呪術やら何やらで制約をかけられ、私は斉藤家の機密を外に漏らせなくなった。しかし、かの家を敵視する所からは、それでも私が魅力的らしく、狙われる可能性があった。斉藤家の呪術が強固とはいえ、突破される可能性があったからだ。
 そんなわけで、私は斉藤家の監視のもとに――忌々しいことにそれは今でも――置かれている。

 あくまで監視であり、私と斉藤家の縁はほとんど切れていた。
 しかし、私は友人に遠藤家の当主、天方家当主がいたので、斉藤家の情報は入ってきた。

 別に斉藤家のことはどうでもいいのだが――当主となった兄の動向が、少し気になっていた。

 学生のころ、兄は私の憧れだった。
 兄は何においても優秀だった。学校の成績もそうだったし、戦士としての力量もそうだった。
 そして何より、兄に対して目覚ましい能力がなく、家で肩身の狭い私に、厳しくも優しく接してくれた。

 そんな兄が……
 どうして、「あんなこと」をしたのか、私には、今でも理解できないのだ。

 だから私は、斉藤家のことを嫌いながらも、義樹や怜ちゃんにお願いして、斉藤家の情報を逐一教えてもらっている。
 ただ斉藤家の動向を調べるだけで、私の求めている答えがあるとは思えないが……勘当された身であるため、このくらいしかできない。


 ある日だった。
 電話の向こうで、怜ちゃんの嗚咽混じりの声が、私に衝撃を与えた。
「理恵が……理恵が、死んだ」
 聞き取れたのは、それだけだった。

 理恵ちゃんは、私達の友人であり――兄の、奥さんだった。

 かねてから、彼女の息子の初生君共々、病に伏せいているというのは聞いていた。――ついでに、それがどうもアヤカシのせいでないのでは、ということも。
 しかし、斉藤家は何もしなかった。天方も遠藤も、斉藤家や元老院にまで掛け合ったが、理恵ちゃんと初生君の病は、ちゃんとした原因すら調べられなかった。
「何、考えてんのよ、あの馬鹿ぁ! 理恵は最低なあんたのそばにずっといてくれたのに、なんで何もしないで死なすのよぉ! 理恵どころか、自分の血が流れてる息子まで! あいつどうしたのよ? 本当にどうしたのよ、何があったのよぉ!!」
 怜ちゃんが何かを叫んでいたが、私の耳には、入らなかった。

 斉藤家からは、理恵ちゃんが死んだことは知らされなかった。所詮、私は斉藤家から縁を切られた身だ。音沙汰がないのは、仕方ないかもしれない。

 しかし、怜ちゃんからの電話があった、二日後。
 いきなり、私の前に、斉藤家の使者が訪れた。

 十数年ぶりに見た斉藤家勢力の者。
 その人は、ただ淡々と、私に用事を述べた。

 曰く。
 兄の息子である終を、無期限で預かってほしいと。

 私は生まれて初めて、兄に対して憎悪を抱いた。

 終は、兄の息子で、双子の片割れ――死んだ初生の、弟だった。
 連れてこられた幼い終は、まるで生気がなかった。目は泣き腫らして赤く、虚ろでどこを見ているのかわからない。体に力が入っておらずふらふらしており、使者の後ろに立つ姿は、幽鬼のようだった。

 怜ちゃん達から聞かされていたが、まさかここまでとは思わなかった。
 斉藤家は、力のない者を冷遇する。――私がそうされたように。
 聞くところによると、終は術の才能云々の前に、霊力が全くないという。そのせいで、斉藤家からは、まず、家の者として扱われなかった。
 ――当主であり父である兄からは、息子とは思われなかったようだ。

 それを聞かされた時、私はそれが信じられなかった。
 だって兄は、力がなく冷遇されていた私に優しくしてくれた。
 その兄が、同様の境遇で、しかも息子である終に、冷たく当たるなんて考えられない。

 しかし、目の前の現実は、私の淡い願望を消し去る。
 冷たく厳しい現実を支えてくれた母と兄を同時に失い、しかもそれからすぐに、終は「捨てられた」のだ。
 傷を癒す間もなく。
 むしろ、更にその傷に毒を塗って。

 疑問よりも、憎悪が溢れる。
 これでは、兄も嫌っていた「斉藤家当主」。まさにそれではないか。


 兄さん、あなたは。
 もう、僕の知る、兄さんじゃ、ないの?


 酷く傷心している終を、私は放ってはおけなかった。
 兄に失望したのと同時に、その兄に捨てられたこの子供を憐れに思ったのか。それとも、兄に対する反抗心か。
 とにかく、終は私が預かることになった。
 幸い、妻は快くそれを承諾してくれた。彼女は『協力者』の家の生まれなので、斉藤家の事情に理解を示してくれた。
 ……私達に子供がいなかったことも幸いしたのかもしれない。


 菜々子は終に親身になって世話をしてやっていた。
 脱力した終は、放っておけば一日中無気力に宙を見上げ、食事も摂らなかった。幽鬼以前に、人形のようだった。
 しかし、私は菜々子ほど親身にはなれなかった。自分と同じ境遇をしているにも関わらず。
 多分、終を見ると、兄への憎悪が勝ってしまうからだ。
 私は終の顔を見るのが精一杯で、菜々子のように世話をしてやることはもとより、笑いかけてやることもできなかった。


 ある日の朝食のことである。
 我が食堂の名物は卵焼きなのだが、食卓にそれが毎日出るわけではない。日々の研究で食べ飽きているからだ。
 しかし、そういえば終はそれをまだ食べていないなと思い、食卓に出してみた。

「……いただきます」
 注意しなくては聞き取れない、力のこもっていないか細い声で、終は挨拶をした。無気力でもそういうことを行うところが、少し皮肉に思えた。名家の子息故にしっかりしつけられたのだろうが、その名家から遠ざけられているのだから。

 のろのろとした動きで、終は卵焼きを口にした。
 と。
!!
 終の目が、驚きで見開かれた。
 残っていた卵焼きを一気に頬張り、咀嚼する。
「ど、どうしたんだい終。卵焼きは逃げないよ?」
 生気がなかった終が急に活発に動き出したので、菜々子が驚いて聞いた。
 私も驚いていた。――卵焼きを咀嚼するたびに、終の目に、輝きが増していくのだ。

 終は頬張っていた卵焼きを飲み込んだ後――涙をこぼした。
 それに私達は更に当惑する。
 終は零れる涙を拳で拭きながら、鼻の詰まった声で言った。
「お、お母さんの。お母さんの魔法の卵焼きと同じ、味」
「え――」
 お母さん……理恵ちゃんの?

「魔法の卵焼き? それって、どんなのなんだい?」
 奈々子が終の頭をあやすように撫でる。
 幾分か落ち着いたのか、しゃっくりをあげつつも、終は説明した。
「ぼ、ぼくが、お父さんに怒られた時に、お母さんがどこからか持ってくるんだ。お母さんと一緒に食べて、おいしいねって言って、初生も混じって、それで……」
 そこで言葉は、涙に遮られる。
 死んだ母親と兄のことを思い出し、まるで堰を切ったように終は泣いた。
 菜々子が終を、抱きしめる。背中をさすってあやす表情は、母のそれだった。

 しかし私は、菜々子ほど、終に気遣ってやれなかった。
 だって、終が言ったことが、私にとって衝撃的だったから。

 私の卵焼きは――兄が作った卵焼きを、模範としているのだ。

 兄は朝早くから鍛錬をしていた。そして何故か、早く起きたついでにと、自身と私の分の弁当を作っていた。
 何事もそつなくこなす兄は、料理の腕もめきめきと上がっていった。
 何でもおいしかったのだが、私が一番気に入っていたのが、卵焼きだった。ふわふわでとろとろで、なんだか心があったかくなる、不思議な卵焼き。
 勘当された今でも、それが懐かしく、自分でなんとか再現した。

 そしてその卵焼きは、父に怒られてしょぼくれている私を励まそうと、兄が良く作ってくれたものだった。

 私の作った卵焼きを、終は「お母さんがどこからか持ってくる」と言った。「作った」のではなく。
 終にそのあたりの分別が付いているのかはわからないが、それは私にある仮定を持たせた。

 兄さんは、終のために、卵焼きを作ったのでは、と。
 もちろん、理恵ちゃんが作っていたのかもしれないが、終の「持ってくる」という発言が気になった。
 でもそれでも。
 可能性でも、妄想でも、私は終と一緒に、泣きたくなった。

 もしかしたら、兄さんは、まだ、僕の知っている兄さんかもしれないのだから。

 もちろん、終に厳しく当たっていたのも事実だ。あの卵焼きを、私の時と同じように作ってくれていたとしたら、なんとも矛盾した行動である。
 しかし、私の心の中で憎悪に染まっていた兄の姿が、消えた。

 兄がまだ、私が尊敬していた兄なら、終はまだ「やり直せる」。
 ただひたすら、家と父親を嫌悪していた私のようには、なって欲しくない。この子にはまだ、希望があるのだ。

 私はようやく、終に対して、笑いかけることができた。
「終。この卵焼きは私が作ったんだけど、なんなら一緒に作ってみるかい? 作り方を覚えれば、いつでもお母さんの卵焼きを食べれるよ」
 菜々子の胸から顔を上げた終は、私の言葉を聞いて――
「……うん、やって、みたい」

 そう、笑ったのは、幽鬼ではなく、ちゃんとした一人の子供だった。



 

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