【2】


 使用人は、踊るような足取りで、暗い廊下を歩いていた。
 気分が軽いといった理由からではない。そこに張り巡らされている術を回避しながら進んでいるためだ。
 飛んだり跳ねたり屈んだりと、あちこちに仕掛けられた罠を、いとも簡単にすり抜けていく。本当に舞っているように。

 そして、目的の場所にたどり着く。
 目の前に、鉄の扉。この中に、使用人は用があった。

 使用人の“本当の”主から任された仕事は、この家の当主を“見張る”ことだった。
 あの男が、何を考え、何を行うのか。それがこの町に、人々に、どのような影響を及ぼすのか。それを見極めることが、彼の任務。
 今日、この場に立っていることも、任務の一環だった。
 あの男が作っている『もの』。それが、いかなるものなのか。それを見極めるために。

 この扉の中にある『もの』に、『餌』が与えられるようになってから、使用人は仕事という名目でよく外に出されてるようになった。使用人としてこの屋敷に来て幾年、うまくやってきたつもりだったが、まだ信用を得ていなかったらしい。
 そしてそのまま、使用人はこの屋敷から担当を外された。今は本邸のほうで仕事をしている。
 だから、使用人がこの屋敷を訪れたのは久々だった。

 久々に訪れた屋敷は、閑散としていた。
 元々、住んでいる人数に対して静かすぎる屋敷だったが、今は、もう人もいない。

 否。本当はいるのだ。
 ――そう、この鉄の扉の向こうに。

 住んでいた人々は、一人を除いて『餌』とされた。
 元々は、優秀な『モノ』を作ろうとしていたらしいが、その過程で生まれた『失敗作』を『餌』としていたらしい。

 『餌』とならなかった、例外の一人。当主の、妹。これが今、どこで何をしているのか、使用人は掴めなかった。
 本邸に監禁されているのは確かなのだが、術で隠されているのだろう。この町に、あの当主の術を見破れる使い手はいない。

 監禁され、何をしているのか、使用人は考えないようにした。
 当主が「優秀な『モノ』」を作ろうとした、そのやり方。それは、「優秀な者」と「優秀な者」を掛け合わせることだったから。

 使用人は頭を振ってその思考を追い出し、目の前の扉に集中した。

 やっとのことで主人からくすねた扉の鍵を、鍵穴に差し込む。
 もう、この時点で感じている。いるのだ。沢山の人。その魂。
 しかし、それは歪な形をしている。不格好に繋ぎ合わされ、無理矢理巨大にさせられた魂たち。

 使用人は、鍵を開け、鉄の扉を勢いよく開け放った。
 そこには、光も届かない暗黒が――

 瞬間、鉄と鉄がぶつかり合うような音が響く。

 使用人の手には、苦無。そして、それが受け止めているのは、巨大な刃。使用人の身長を優に超えている刃は、巨大なカマキリの鎌だった。
 使用人は、その刃を涼しい顔で受け止めていた。苦無で鎌を止めながら、前へ――扉の中へ入ろうとする。

 ――おいで。

 使用人の胴があった所を、二つの刃が交差した。使用人は跳躍して、それを避けていた。
 その隙に鎌が翻り、再び使用人を斬ろうと振りかざされる。

 ――こっちへおいで。
「ったく、来いと言っているわりに、奥には進ませてくれないんですね」

 屋敷に入った時から、使用人は呼ばれていた。
 正確には、この屋敷に勤めている時からだ。あの「動かない兄弟」達が消え始めた頃から。

 ――こっちへ。
 この闇に蠢いているものが、屋敷中の者達に呼び掛けていた。
 その声を聞いて、「兄弟」達はここに導かれた。そして――

 ――我らと、ひとつに。
 『餌』となった。

 自我のあったお嬢様と――『彼』には、声が聞こえなかったようだが。
 だが、『彼』のほうは結局、『餌』してここに放り投げこまれてしまった。

 鎌が迫る。
 使用人は、息をひとつ漏らして、苦無を握り直した。

 悲鳴が、使用人の鼓膜を刺激した。
 屋敷全体が震えているような絶叫。鎌は、バラバラに切り刻まれていた。切り口から、青い液体が噴き出す。

 それを見て、使用人は怪訝に思った。
 使用人は『これ』を、魂の集合体だと思っていた。それが実体化して襲って来たのだと。しかし、だとすれば、傷口から出るのは、魂の欠片である光だ。
 しかし、出てきたのは液体。ということは、『これ』は、唯の魂の集合体ではない。

 使用人の顔が険しくなる。闇を睨む。
 そして、今までに見せたことのないくらい、速く、跳んだ。
 刃が遅れてそれを追う。しかし、追いつけない。

 一閃。苦無が、闇の中に紛れている本体を切り裂いた。
 屋敷が再び震える。
 悲鳴を無視し、使用人は傷口を抉る。悲鳴が増す。常人なら気絶してしまう反響の中で、使用人は『それ』から核を引きずり出した。

 青い血液にまみれて出てきたのは――『彼』だった。
 当主に直接『餌』として放り込まれた、少年。
「ぐあああああああ!!!!」
 彼は胸を抑えて絶叫した。彼の悲鳴と、『それ』の悲鳴が重なる。
 裸体の彼の背中からは、『それ』に向かって肉の管のようなものが伸びていた。そしてそれは、『それ』に繋がっている。

「……坊っちゃん。私のこと、わかりますか?」
 使用人は険しい顔をしたまま、そう問いかけた。

 彼が顔を上げる。痛みに歪んだ顔を。
 そして、目が見開かれる。
「し、しようにんの」
「わかるようですね」
 周りを囲んでいた刃が退いていく。殺気がなくなった。

「なんで、あなたが、あいつでは。うううううう、殺す! 殺す!! あいつは殺す!!!!」
「……当主様ですか?」
「殺す殺す殺すコロス姉上姉上――」
「成程」

 使用人を当主と勘違いして襲ったようだ。殺気が闇の中を駆け巡る。それは使用人に向けられたものではないが、肌が痛くなる。
 使用人は這いつくばって呻く彼を見ながら、思考を巡らせた。

 彼は、『餌』となった。しかし、完全に融合したわけではないようだ。
 それどころか、彼は、『これ』の核となっている。『これ』は既に彼の体。彼の思い通りに動くようだ。
 そして、自我もある。半ば思考が憎悪に染まっているが。

「あの人は『無能』と言ったが、どうやら違ったようだ」
 使用人は、痛みにまだ呻いている彼の背に触れた。
 使用人の手から光が溢れる。しばらくして、呻き声が止んだ。

 ゆっくりと、彼は上半身を起こす。
「お前は、何者、なんだ」
 彼が問う。
 この屋敷にいたころ、使用人は必要以上に彼と話をしたことがなかった。
 唯の使用人と思っていた者が、隠された部屋にまでたどり着き、軽々と彼を切り裂いた。何者か問うのは必然だ。

 使用人は熟考して、しばらくしてから口を開いた。
「――貴方に、選択を迫る者、ですかね」
「せんたく」
「そうです」

 任務の一環で、当主が作った『もの』を見極めに来た。
 そして、その為に、使用人は選択を迫る。

「当主が作ったものは、言ってしまえば、『人工のアヤカシ』。沢山の魂を犠牲にした。これは許されることではない。近いうちに、貴方の家は粛清を受けます。そしておそらく、当主は殺されます」
「!」
 使用人の本当の“主”に、当主が作った『もの』の話をすれば、そうなることは確実だろう。元々この屋敷の当主は、“主”達に反抗的だった。それが最近になって、こちらに歩み寄ってきたのだ。何か裏で企んでいるのだろうと探ってみれば、案の定である。『これ』で何をするつもりのか、考えたくもない。
 むしろ、良い口実を見つけたと、嬉々として潰しにかかるだろう。

「そして、当主を殺すのは、私になるでしょう」
「な……」
「稀代の術師。それに牙が届くとしたら、私しかいませんので」
 この町に、あの当主に敵う者はいない。使用人も、自分の実力を自負していたが、正直敵うかは怪しいと思った。
 しかし、もし討伐の話になったら、請け負うのは自分になるのは事実だったし、なにより、彼に発破をかけるために、口に出した。

 事実、彼の顔色が変わった。
 使用人は、本題に入った。
「貴方に迫る選択は、『私についてくるか、否か』です。
ついてこなければ、貴方は当主の手駒として使われるでしょう。貴方を操る術が既に組み込まれているはずですから、抵抗しても無駄ですね。
しかし、私についてくれば、その術を解いてあげましょう。ついでに力の使い方を教えてあげましょう。そして」

 使用人はようやく、顔を綻ばせた。
「貴方が、当主様を殺すのです」

「…………」
「何、時間は多くありませんが、大丈夫ですよ。私の見込みならば、貴方は飲み込みが速い。それに貴方は人間ではなくなった。充分、牙が届く」

 彼は、ゆっくりと、立ち上がった。
「……あいつを、殺す。そして、姉上を、助ける」
 そして、手を伸ばした。
「連れていってくれ、僕を」

「はい、坊っちゃん」
 使用人は、彼の手を取った。

 任務の一環で、当主が作った『もの』を見極めに来た。
 そして、その為に、使用人は選択を迫る。

 その選択の先に、『彼』がどうなるのかを、見極めるために。


「ああ、坊っちゃん、私、実は貴方のお名前を知らないのです。いやあ、聞く機会を逃してしまって。うっかり」
 調子外れの使用人の問いに、彼はため息をついた。
 確かに、必要以上に会話をしなかった上に、「坊っちゃん」で通じたので実際は困らなかったが、使用人として家人の名前を知らないとはどうなのだろうか。

 彼は名前を告げようと口を開いた。
 しかし、躊躇う。

 少し間を開けて、彼は言った。

「僕は父様にとって『無価値』なのだそうだ」

 かつて姉が外の世界から持ってきた、宗教の本。
 そこに書かれた、『無価値なもの』を意味する悪魔の名前。
 『ベリアル』。

「だから、そう。僕は『ベリアル』だ」

 透き通った虫のような羽を広げ、屋根の上から舞いあがる。
 外の世界へと。


 箱庭のような小さな世界で。
 彼は、死んだ。

 死んで――『ベリアル』が、生まれた。



 

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