リィン・ディーンズには、弟がいる。
 しかし、本当に血が繋がっているのかと思うほど、二人は似ていなかった。

 容姿に関しては、姉は、藍色の双眸でどこにでもいそうな少女であるのに対し、弟は、黒髪に金色の瞳、そして女性と見間違うほど美しかった。
 勉学に関しては、姉の学園での成績は絶望的なのに対し、弟は飛び級をして姉と同じ学年になり、さらにそこでトップ3となるほど優秀な成績を残していた。

 容姿端麗で成績優秀な彼だったが、それを驕ることなく、誰とでも親しみを持って接した。
 年の割に小柄な身体で、明るく笑い、大好きな姉と戯れている姿を、誰もが「天使のようだ」と口にした。

 しかし、リィンは心の中でいつも叫ぶ。正直、泣きたい気持ちで。
――こいつのどこが天使じゃボケェェェ!!


 リィン・ディーンズには、ライズ、という弟がいる。




■  ハッピーエンドはまだ早い




みぎゃああああああ!!!!
 情けない悲鳴と共に、鉄同士がぶつかり合った音が響く。
 もはや泣き顔と言っていいほど崩れた表情で、リィンは長剣を振っていた。

 目の前には、涎を滴らせて爪を振り回す、熊のような魔物。リィンの身長の、二倍近くはあろうかという大きさだった。
 その長く鋭い爪は、五本の剣となってリィンを襲い続けた。
 魔物は大きい図体のわりに、意外と素早かった。力も強く、リィンは防戦一方だった。

 徐々に後退させられる。絶え間ない攻撃を防ぐたびに、剣を通じて衝撃が走る。腕が悲鳴を上げ始めていた。腕以前に、リィン自身の体力もなくなってきている。
(このままじゃ、やられるっ……)
 瞬間、剣を弾かれてしまった。
!!
 溜まっていた疲労のため握力も弱まり、剣はリィンの手から離れてしまう。
「やっ……」
 攻撃を防ぐ術をなくしてしまったリィンに、容赦なく爪が襲い掛かった。

 が。

「おおぅ?!」
 一瞬にして、世界が反転した。途端、背中全体に鈍い衝撃が加わる。
 木の根に足を取られて、仰向けに倒れたようだ。
 しかし、背の次に胸が痛んだ。
 体勢を崩した為に深くは入らなかったようだったが、肩から胸の下まで、斜めに切られてしまった。

(でも、まだ死んじゃいない!!)
 僅かに灯った希望を、リィンは逃さなかった。
 すぐさま、魔力を練り上げる。
 同時に、目を瞑り、手を魔物に向け、叫んだ。
ノゥニ!!」

 閃光が走った。
 突然の光の洪水に、魔物が目を押さえてうめくのが聞こえた。
 リィンはお構い無しに、起き上がって、転がっている長剣を手に取った。

 光は既に治まっていたが、魔物は目をやられたらしく、苦しそうにその場でうめいている。
 リィンはその姿に少し罪悪感を覚えたが、すぐに振り払う。下手したら、こちらがやられていたのだ。

 剣をしっかり握り、魔物に向かって振りかぶった。

「はい、そこまで」

 パチン、という軽い音と共に、魔物は黒い煙となった。
 煙は渦を巻きながら宙を舞い、飛んでいく。
 その行き先を、リィンは忌々しく見た。

 そこには、弟のライズがいた。

 煙は彼に巻きつくようにとぐろを巻き、そして次第に消えていった。
「いやー、見事だったぞ、リィン! あのままズタズタになって私に泣きながら助けを求めるかと思いきや、あんなところで奇跡を起こすとは!」
「そりゃどーも……」
 嬉々として姉を称える弟を、リィンはうんざりとしながら聞き流した。剣を地面に刺し、それに寄りかかる。
 その時、忘れていたように胸の痛みが襲った。

 ふつふつと、怒りがこみ上げてきた。
「っ……、ああ、もう!! また制服破れちゃったじゃないのよ! この間縫ったばっかりなのに!」
「ふむ、じゃあ今度からは打撃系の魔物を構築するか」
「ってゆーか! なんであたしがアンタの作った『ドール』と戦わなくちゃならないのよ! 毎回毎回しんどいのよ! 怪我するし、次の日だるくて授業に集中できないし!」

 リィンが今まで戦っていたのは、ライズが作ったものだった。ライズの意思の通りに動く、魔力で出来た人形である。

 ライズは憤慨するリィンを、鼻であしらった。
「なんでって、リィンを強くするためだろう。我が姉上は、諸事情によって、自分の身は自分で守るくらい出来なくてはならないのだから。いつまでも私に頼っていてはいけない」
「ぐっ……そりゃそうだけどっ! あたし毎回怪我してんのよ? 死なない程度だって言っても、ちょっと痕残っちゃうかもしれないものもあるし! これってただのいじめよリンチよ暴行よ!! この強姦魔!!」
「日中からそのような単語を叫ぶな。しかも弟に向かって。怪我も何も、すべてリィンがちゃんと対応できていないからそうなるのだ。いい加減成長を知ったらどうだ」
「悪かったわね、成長しなくて……、っ」

 リィンは再び、胸に痛みを覚えた。
「っ〜、血ぃ出てんじゃないのよ……いてて、ほ、保健室行かなきゃ……」
 剣を鞘に収め、痛みに更に襲われないように、リィンはのろのろと歩き始めた。
 ライズはその様子を見て、ため息をついた。
「やれやれ、その程度、回復魔術で治せ」
「うるさいっ! 使えないの、知ってるでしょ!」
「もちろん知っているぞ。姉上は比較的簡単な炎の魔術すら、不発するくらいだしな。当然だ」
「こいつ……!!」
 剣を抜いて斬りつけてやりたい衝動を、リィンは必死になって抑えた。
 やったら、倍返しにあう。そう思うと、一気に怒りが治まった。

 と、同時に、今度は哀愁めいたものが迫り上げてきた。
「うぅぅ〜……、何であたしみたいな、健気で道端に咲く一輪の花のごとくささやかな可憐な少女に、このような仕打ちを行うのですか、神様ぁぁぁ。 チクショウ、あたしが死んだらぜってぇ天国に殴りこんでやるからな覚悟しやがれぇぇぇぇえええ!!」
「……それが、健気で道端に咲く一輪の花のごとくささやかな可憐な少女が言う言葉か」

 呆れつつも、ライズは、ふらつきながら歩く姉を支えた。
 リィンは、まさか何かされるのか、と身を硬くした。しかし、ライズはそのまま、彼女の歩みを助けている。
 リィンはそれに安堵した。 なんだかんだ言って、優しい奴なんだなぁ……と。

 思った矢先。

「おおっとー!! 転んだー!!」
 愉快そうな声で、ライズが叫んだ。同時に、再び世界が反転する。
みぎゃああああああ!!!!

 ぶん投げられたリィンから、二回目の情けない悲鳴が、響いた。


**********


「リィン、また随分とお疲れみたいだね」
 食堂に来たトレインは、先に来ていた少女の表情を見て、苦笑交じりに言った。
 視線がどこかを向いており、肩は下がり、首も力なく傾いている。そして、無表情にフォークでウィンナーを刺し、口に運んでいる。
 トレインは、リィンの隣に座っているライズを見た。こちらは姉とは正反対に、美味しそうに食事をしている。
 リィンがこうなっている原因は、ライズだとわかりきっていた。というか、日常茶飯事だった。

「まったく、君達も飽きないよねぇ……」
 そう言いながら、リィンの向かい側に座る。そこでようやく、彼女はトレインの存在に気付いたように視線を向けた。目にも生気が無い。
「トレイン……おはよ……」
「今はお昼だよ、リィン。こんにちはの時間だよ」
「こんにちは……」
「…………相当疲れてるんだね。ライズくん、少しは手加減してあげたら?」
 覇気の無い少女を置いて、トレインは早くも食事を済ませたライズに話しかけた。
 ライズは、その言葉を聞いて、困ったように眉を下げた。
「手加減したいのは山々なのだが……まだまだ課題が多くて。いざ、という時に魔術が発動しなかったり、剣筋に迷いが生じていたり――」
 と、ライズは問題点をつらつらと語り始めた。

 この姉弟は授業がないと、演習場で戦闘訓練を行っている。それは、リィンを見てわかる通り、なかなか激しいものだ。知らない者が見たら、弟が姉を殺しにかかっているようにも見える。
 しかし、そのような訓練をしなくてはいけない理由を、トレインは知っていた。そして、リィンも何だかんだ言いつつ訓練をやめないのは、それに必要性を感じているからだろう。

 なので、トレインは、そっと影から応援することしか出来ない。
 頑張れということしか出来ない自分が、歯痒かった。
「リィン、頑張って。これ俺からの餞別」

 と、手渡されたのは、プリント。

 うつろな目で、リィンは文面を追った。
 そこには、リィンとライズの名前と、『課題』の文字。
「課題…………」
 熱に浮かされたように、漏らす。

「んじゃ、確かに手渡したよー。頑張ってねー」
 と、トレインはそそくさと席を立ち、食堂を去っていった。
 実に爽やかな笑みを浮かべながら。

 それから数拍して、リィンは叫んだ。
「課題いいいいいいいいい?!」


**********


 コアル魔術学園。
 世界随一の、魔術を専門的に教える学校である。
 この学園はギルドがあり、大抵の生徒達はそれに参加している。そして生徒達はギルドを通して、『課題』として仕事を受けている。
 基本的に生徒達が自分で『課題』を選ぶのだが、稀に、依頼者や教師から直々に指名されることがある。

 今回二人に来たのは、学園長直々の指名の『課題』だった。

 訓練で疲労困憊していたリィンはうなだれた。
「しかも、今日行けって……鬼……鬼だ……」
 と、ブツブツ嘆いている。
 プリントを受け取ったライズも、実に嫌そうな顔をしている。
「学園長直々って言うのが……嫌な予感が……」

 『課題』の内容を読む。すると、ライズの表情が段々と、真剣なものに変わっていった。
「これは……はぁ、全く。面倒ですが、これは私が行った方がいいみたいですね」
「そーよ! これ、ライズの『課題』じゃない! なんであたしまで行く必要が?!」
 リィンは気合で半身を起こし、ライズにそう訴えた。
 しかし、ライズは恍惚したように言い放った。
「何を言っているのですか。私とリィンは二人でひとつ! 運命共同体! アダムとイブ! 常に一緒ではならないのです。学園長、流石わかってらっしゃる」
「くそぅ……鬼がもう一人……!!」
「ふふ、ほら、リィン行きますよ」
 再びうなだれ始めた姉の腕を掴んで立たせ、ライズは満面の笑みを浮かべて、言った。


**********


 早急に支度をし、船に揺られて数刻。そこから馬車を捕まえて更に数刻。最後に、獣道を歩くこと数刻。
 リィンとライズが目的地に着いた時には、日付が変わっていた。しかも、夜中である。

「辺境の村、って言っても……これはないわ……」
 リィンは、月夜に照らされた風景を見て、漏らすように言った。

 半壊した家屋、吹き飛ばされた畑……そこには、荒れ果てた村の姿があった。
 知らぬ者が見れば、廃村だと思うだろう。

「依頼主は?」
 リィンが聞くと、ライズはある建物を指差した。
 それだけは、周りの家屋に反して、綺麗に形を保っている。教会だ。

 リィンはその教会の扉を、数回ノックした。軽く叩いたつもりだったが、闇にその音はよく響いた。
 そして、中から、誰かが――しかも複数の人が、息を飲んだ気配を感じた。
 リィンは、なるべく優しい口調で語りかけた。
「あの、コアル魔術学園の者です。依頼を受けてきました」

 そういうと、教会の扉が遠慮がちに開いた。そして隙間から、老人が顔を出した。
 リィンの顔と、着ている制服を確認し、扉を更に開いた。
「……どうぞ」
 酷く暗い声で、言った。
 教会に足を踏み入れる。二人が入ると、迅速に、かつ静かに扉が閉められた。

 カーテンがかかっていない沢山の窓からは、月夜が入り込み、それが教会内にいた人々を照らしていた。なかなか広い教会内に、所狭しと座り込んでいる。どうやら、破壊された家々から避難してきたようだ。
 沢山の視線が、二人に注がれる。

 その中のひとつが、言った。
「あなた達二人が、学園から派遣された人達?」
「そうです。あの、現状を教えていただけると助かるのですが――」
 しかし、返ってきたのは、落胆したようなため息だった。
 と同時に、失望したような嘆きが漏れる。
「なぁ、やっぱり高い金払ってでも、ちゃんとした退治屋呼んだほうが良かったんじゃねぇか?」
「学園のギルドは、手ごろな値段の上に人材が良いと聞いたが……やはりウソだったかのぉ」

 リィンはそれに青ざめた。
 実年齢のわりに童顔な姉弟である。確かに、落胆しないほうがおかしかった。
「で、でも安心してください! 確かにあたしは強くないけど、こっちの子は相当強いですから!!」
「じゃあなんでアンタ来たんだよ」
「うっ……」
 学園長のイジメと、弟のわがままの為です、などと口が裂けても言えなかった。余計に信頼をなくす。

 村人は集まって、ひそひそと会議を始めだした。リィンが話しかけても、適当にあしらわれて、聞く耳を持ってくれない。
「どうしようライズ!! ここで学園の信頼を落としたら、あたし進級できなく……いや、それ以上に退学になっちゃうよー!!」
 ただでさえ、勅命で来たのだ。リィン達は学園長の代わりだと言ってもいい。

 しかし、弟すら姉の嘆きに耳を貸さなくなっていた。
「ちょっと、ライズ聞いてる……、っ?!」
 リィンは、ライズの変化に、気付いた。
 それに、全身が強張る。

 ライズを取り巻く空気が、魔力が色を変えていくのがわかった。ゆっくりと、静かに――。

 何で、と考えてすぐに答えは見つかった。
「来た!!」

 リィンが言うと、教会内に緊張が走った。
「来たって……まさか!」
 人々が悲鳴に近い声をあげる。

 途端、教会外で、爆発音が響いた。
 近くの家屋が、吹き飛ばされたらしい。

 同時に、静かな闇に不釣り合いな高笑いが響く。
ふはーっはっはっは!! 低俗な人族共よ! 魔王様のお出ましぞー! 殺されたくなければ、さっさと献上物を捧げるのだァ―――――!!」

 窓から見ると、空に、黒いコウモリのような翼を広げた影があった。
 ――魔族、悪魔だ。リィンのような『人族』とは異なる世界の住人である。

 学園長から渡された『課題』は、この悪魔の捕獲だった。
 この悪魔はここ最近出現するようになり、このように魔術で村の人々を脅しては、村の食料を奪っていくのだという。
 しかし、リィンが見極めたところ、この程度の悪魔なら、成績が真ん中くらいの生徒でも充分対応できる。わざわざトップ3であるライズを起用するまでもない。


 ――『魔王』を、名乗りさえしなければ。


 リィンは剣を抜き、人々に言った。
「大丈夫です! うちのライズの敵じゃありません! でも、危険ですからここから出ないでくださいね! ライズ!!」
「わかっている。行くぞ!!」
 リィンとライズは、教会の扉を開け放った。


 悪魔は、見知らぬ顔が二つ出てきたのを、訝しげに見た。
「なんだぁ、お前等? この村の者じゃ……う、うおおおおおお?!」
 悪魔はリィンを見ると、歓声を上げた。
「な、なんちゅー魂の輝き……!! ははーん、今回の献上物はこいつだな? 容姿は、まぁ、平均並みだが……この輝きはそれでも釣りが来る! 汚し甲斐があるぞー!」
 リィンはそれに身を硬くした。が。

「……ふっ」

 悪魔の台詞を聞いて、ライズが鼻で笑った。魔族の聴覚なら、聞き逃さない程度で。
「なんだクソガキ! 何がおかしい!!」
「いやぁ、リィン、貴女、平均並みって言われましたよ……ぷぷ」
「ええええ?! この期に及んであたしのことなの?! つーか笑うなー!」

 先ほどまで歓喜に浸っていた悪魔は、出鼻をくじかれ、憤怒に表情を染めた。
「てめーこのガキ!! ひねり殺してやる!!」

 翼を翻して、一気に急降下する。
 硬く握られた拳を、ライズに目掛け、まるで突き刺すように。

「ああ」
 しかし、ライズはそれにも、笑っていた。

「低俗なのは、お前のほうですよ。まだわからないのですか」


 吹き飛んだのは、悪魔のほうだった。


 悪魔は地面に這いずりながら、何故自分が今、腹に強い衝撃を受け、悶えているのかわからないという表情をしていた。
 それに、ライズは答えた。
「簡単ですよ。私がお前の拳を払って、お返ししたんです」

 ズシリ、と、体に何かがのしかかったような重みが襲い掛かった。
 そよ風が吹く。そして、空気も心なしか、冷たくなっていった。

 ライズはまるでスキップのような軽い足取りで、転がった悪魔に近づく。
「いやはや、せっかくわかるように気配を出していたのに、まったく気付かないで来るんですもの」
 その言葉は、まるで歌を歌うようだ。

「しかも、リィンの魂の光を『汚し甲斐がある』と。確かに彼女の光は素晴らしいですけど、容姿にとらわれているようじゃ、まだまだその真価がわかっていませんねー。まぁ、まだ若いからそれは仕方ありません」
 そよ風がだんだんと勢力をつけていく。気温もどんどん下がり、リィンは身震いをした。しかし、それは単なる寒さだけのものではないと、思った。

「あまつさえ、あなたは『魔王』を名乗りましたね。『魔王』は、魔界の管理を任された者の、栄誉ある称号です。それが、こんな小さな村の食料を奪うしか能の無い小さな小僧が。いやはや、私だったら恐れ多くて潔く腹切って死にますね」

 ライズが口を開くたびに、圧力はどんどん増していく。そよ風はとうとうその名を捨て、轟々と叩きつけるような大風を起こしていた。

 とうとう、手を伸ばせば触れられる、という位置まで、悪魔とライズは接近した。
 嵐のような風と、ライズの視線に晒され、悪魔は立てないでいた。
「ま、まさっ……こんなと……すみっ、もう……」
 その口は何かを紡ごうとしていたが、見事に失敗していた。

 ライズは、子供をあやすような声で言った。
「まったく、呆れを通り越して、可愛く思えてきましたよ。いや、私のそういった趣味はありませんが。
ですが、こればかりは許しません。魔族にとって尊い存在である魂の光を、冗談でも『汚す』と言い、そして、聖なる『魔王』の称号を、愚かにも騙った罪は重い……。
『同族』から出た錆びは、しっかりガッツリ更正せねば。それが『魔王』の称号を受け賜った者の定めというものです」

「ど、同族?! しかも、ま――、やっぱり――!!」
 悪魔が素っ頓狂な声をあげた。
 ライズは、ぱっと咲いたような笑みを浮かべた。

 瞬間、吹き抜けるような風が起こる。
 視界が一瞬塞がれる。そして、次に開けた時には、そこに『少年』はいなかった。

 代わりにいたのは、長身痩躯の『青年』。
 さらさらした長い黒髪を風になびかせ、金色の目は、楽しそうに悪魔を見つめる。

 この青年は―……
「我が名は、ライズ・ウォンクレイ! 『魔王』の名の元に、お前に懲罰を下します。なぁに、安心しなさい、殺しはしません。半殺しにするだけですから」

 ヘビに睨まれたカエルよろしく悪魔は縮み上がって、顔色が蒼白を通り越して土気色になっていた。
 それにライズは、含み笑いをしながら手を伸ばす。


 リィンは顔を背け、目を瞑り、耳をふさいだ。


**********


 悪魔を退治した『少年』と、おまけの少女は、村人達に感謝されながら村を後にした。
 そして、尋常じゃない怯え方をしている悪魔を役所に引渡し、リィン達は帰路についた。

 波の音が、うるさくもなく静かでもなく、心地よく耳に残る。地平線からは、太陽がうっすらと顔を出していた。これで揺れがもう少しマシだったら、船って最高だな、とリィンは思った。
 もうすぐ、学園が見える。

「リィンー!! 力を使って疲れましたー!」
「うおお?!」
 いきなり後ろから来た衝撃を受け止めきれず、リィンは危うく手すりを通り越して海に落ちそうになった。
「あ、危ない!! このバカライズ!!」
 今度こそぶん殴ってやろうと、リィンは振り返った。
「って、ひゃああ!!」
 しかし、そこにあった端麗な顔に驚いて悲鳴を上げた。そこにあると予想していたのは、可愛い『少年』の顔だったからだ。

「人の顔を見て悲鳴を上げるとは、随分酷いではないか、リィン」
 すぐさま体勢を立て直して逃げようとしたリィンを、ライズはすぐに捕まえてその腕の中に収めた。
「ぎゃあああああっ!! 放してー!! だれかに見られたらどうすんのよ!!」
「知れたこと。見せ付けてやればいい」
「ふざけんな!!」
 リィンはしっかり抑えられた体で可能な限り暴れた。しかし、すぐにやめる。
 ライズのことだ、ちゃんと人に見られていないか確認したから、『青年』の姿でリィンにまとわりついているのだ。

 しかし、やっぱり悔しい。
「馬鹿、変態、鬼畜、魔王! チョコレートの食べすぎで鼻血出して死ねっ!」
 ライズは呆れたようにため息を漏らした。
「何か言うと思ったらそれですか。あのですね、私は義務を果たしたんですよ? あの悪魔、途中からリィンを狙っていたではないですか。危険から守って差し上げたのです。見返りとして、抱きつくくらい構わないでしょう?」
「くっ……。ったく、学園長の言いつけじゃなかったら、契約なんてとっとと切ってるのに……」
「何を言いますか。私がいなかったら、リィンなんて魔族の餌食じゃないですか。感謝しなさい」
 リィンは、血管の一本が切れたように思えた。事実なので余計に腹立たしい。
「だったら、せめて『子供版』になりなさいよ! 学園の誰かに見られて、あたし達が本当の姉弟じゃないってバレたらどうすんのよ!!」

 ――リィンとライズは、本当の姉弟ではない。

 人族には、『魂の光』というものがある。
 リィンは、稀に見る、その光が強い人族なのだ。
 そして魔族は、その光に強く魅せられる。曰く、それは宝石のようなもの。
 しかし、美しい宝石をただ眺めるだけでは飽き足らず、無理矢理奪って自分の物にしようとする者もいる。そんな者達に、リィンは今まで狙われ続けていた。時には、命を落としそうになったときもあった。

 しかし、ある事件にて、リィンとライズは偶然にも『契約』をしてしまった。

 契約を解除しようとしたが、そこに学園長が割り込み、契約を続行することを勧めたのだ。リィンが魔族に襲われやすいのを気遣って、魔王に護衛をさせようと思ったのだ。今でも思うが、なんともふてぶてしいことである。
 そして、なんだかんだでその通りにしてしまった二人は、護衛しやすいようにと、姉弟として学園で生活することになったのだ。

 リィンは、自嘲気味に笑った。
 しつこくて鬼畜で変態の魔王を相手するのは、疲れて嫌になるけれど……同時に、頼もしく思っている自分がいる。
「仕方ないわね、命守ってもらってるんだしこのくらいは許してやるわよ……。だから早く『子供版』になりなさい! 契約上、あたしはアンタのご主人様っていうことになるんだから、言うこと聞いてもらうわよ!!」
「…………チッ」
舌打ちするなぁぁぁぁぁあ!!!!


 リィン・ディーンズには、弟がいる。
 しかし、二人は似ていなかった。血が繋がっていないので、当たり前である。
 年の割に小柄な身体で、明るく笑い、大好きな姉と戯れている姿を、誰もが「天使のようだ」と口にしたが、本当はそれと真逆の存在。


 リィン・ディーンズには、ライズ、という護衛の魔王がついている。



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