あなたに私の一部を与えましょう。あの人と私が常に一緒にいられるように。
 これであなたは私。私はあなた。あなたがあの人と共にあることは、それは、私があの人と共にあることと同じ。

 私はあなた、あなたは私。

 でも、ならば何故。
 お前は、あの人を、守らなかった。
 何故敵を、殺さなかった。

 お前は私なのに、何故。
 何故、何故何故どうして――!



衝撃的な出逢い

『何故ここにいるのか』



 ふと、目覚めた。

 意識が定まらないまま、あたりを見渡す。近くに窓があり、そこから月の光が差し込んでいた。そのおかげで辺りが把握でき、自身がいるのが、どこかの屋敷の廊下だということがわかった。
 意識が定まるにつれて、疑問に思った。何故目覚めた場所が廊下なのか、というのもその一つだが……
 それ以前に、何故自分は目覚めてしまったのか、ということに疑問を持った。

 『人間』ならば、眠るにあたって目覚めてしまうのは仕方がない。
 しかし、自分は『人間』ではない。「眠る」と決めたのならば、相当のことがない限り目覚めないはずだ。

 ならばその相当なことが起きたのか、と思ったが、自分がいる場所は廊下。何の変哲もない、ただの廊下である。絵画が飾ってあったり、花瓶や銅像があったり、窓枠がやたら細かい装飾が施されていたり――なんてことはない。実に質素というか、普通の廊下である。
――これがまさか、貴族の屋敷だとは思うまい――。
 と、無意識に思って、はっとした。
 何故自分は、この廊下を――この屋敷を、貴族のものだと知っているのか。
 疑問に思って、すぐに解決した。
 当たり前だった。ここは、自分が生まれた屋敷だったからだ。

 そして、それを知って、更に疑問が浮かんだ。
 何故、自分はここにいる。自分はこの屋敷には『在るはずがない』のに。
――あの日、自分は、『母親』に捨てられたのに――

 瞬間、最後に見た『母親』の目を思い出し、体が震えた。
 『母親』の一部であり、『母親』自身と言って過言ではない、『子供』を見る目。それを。

 誰の目があるわけでもないのに、急にいたたまれなくなって、その場を離れた。

 自分を責める目の記憶を頭から追い払う為に、思考を変えようと試みた。
 とりあえず、何故自分はここにいるのか、ということに思考を戻した。
 本来なら自分は、土の下で眠っているはずだった。――それはもう、永遠の眠りのはずだったのだ。たくさんの屍と一緒につく、永遠の。
 体の『命』だけ土の上に出てきてしまったか、と思ったが、違う。さっきも思ったが、よほどのことがないと目覚めないはずだ。それに、自分が眠りについた場所は、この屋敷からかなり離れている。当たり前だ、そこは墓地なのだから。そもそも人里からも離れている。

 だとしたら考えられるのは、墓荒しか。それも考えてすぐに消した。自分が捨てられたのは、ちゃんとした墓の中ではない。浮浪者や金のない者の死体が投げ込まれる、墓という名の穴だった。荒らしても、得られるのは疫病くらいだろう。

 考えてますますわからなくなる。何故自分はここにいる。いっそのこと、誰か教えてくれ。

 と、思いながら屋敷を徘徊して、廊下に一筋、光が伸びていた。扉の隙間から、光が漏れているようだ。
 月の光とは違った。おそらく、火だろう。夜だったので誰も起きていないだろうと思っていたので、少し驚く。
 同時に、自分が何故ここにいるのか聞いてみようと、思い切って扉を潜った。

 その部屋は寝室だった。廊下と同じく飾り気はない。机に置かれたランプが、部屋を淡く照らしていた。
 そのランプの脇で、十二歳ほどの少年が服を塗っていた。
 寝巻姿に一枚羽織り、目を瞬かせながら作業するその風景は、少年が徹夜で作業していることを示していた。

 屋敷に飾り気がなければ、その少年の容姿にも飾り気がない。そこらへんにいるありふれた少年のように思えた。
 しかし、その少年には見覚えがあった。
 当たり前だ、それは、『母親』の弟だった。
 だが、『母親』の弟は、最後の記憶では成人している。
 ならばこの少年は、彼の息子だろうか。何せ、自分が眠っていた時間はわからない。彼が結婚して子供ができて、それが成長するくらいの年月は経っているのかもしれない。

 考えても仕方がない。眠たそうに服を縫う少年に、声をかけてみるしか。
「――おい」
「?! ッッ、うわああああッツ?!」

 話しかけた途端、少年は絵に描いたように飛び上がった。
 見開いた目でこちらを見て、その目が更に見開かれる。
「で、出たァ―――――!!」
 少年はそう叫んで部屋の隅へと飛びのいた。その顔は、完全に恐怖で歪んでいる。
「うわ―――!! お化けお化けー?! 助けてコアル様もうお祈りサボったりしませんからー!!」

 そこでようやく、自分が迂闊なことをしたのだと悟った。
 今の自分の姿は、完全に「靄」だった。「靄」の塊から手足ともとれるものが幽かに伸びている。それが喋ったとならば、幽霊に間違われても仕方がない。
 といっても、実質、幽霊のようなものなのだが。

「落ち着け。私は幽霊ではないぞ」
 少年を刺激しないよう、なるべく優しめに声をかける。しかし。
「えーん! 僕が何したっていうんですかー! 幽霊に祟られるようなことはしてないのにー!」
「突然出てきたのは謝る。しかし私も困っていて……」
「ていうかこの際ゲオルグでいいッ! 助けに来いよあの馬鹿ー! なんで隣の部屋で寝てて気づかないんだよー! 助けてー!!」

「っ、落ち着けと言っている! 私は幽霊ではない、お前達が作った『命』だ!!」

「……え?」
 そう声を張ってからようやく、少年は落ち着いた。
 『命』という言葉を、少年は知っているからだ。
 当たり前だ。この家の者なら、子供だろうが知っている。

 『命を吹き込む者』――この家の者は、そう呼ばれている。
 あらゆるモノに『命』と呼ばれる魔力を注ぐ、かつての大戦で生まれた魔術を操る者達。
 それがこの少年の血筋であり――自分は、その家の当主であった『母親』から生まれた『子供』――いや、『刀』だった。

 少年は落ち着いたが、まだ顔に恐怖が残っていた。
「い……『命』がモノから離れてしまうことはあるけど……あなたは、何の『命』……?」
「『刀』だ。正確には『懐刀』。ええっと、鞘に――」
「『懐刀』?! あなた、アリシア様の作った『懐刀』の『命』なのですか?!」
 自分の容姿を説明しようとした途端、少年が食いついてきた。少年の顔には、恐怖がなくなって、驚き興奮しているのが見えた。
 しかしこちらも驚いた。自身のことを知っていたことにだ。いくら当主の作ったものとはいえ、ただの刀なのに。

 そして、少年の言葉にわずかに疑問を感じた。『母親』の名前は確かに『アリシア』である。しかし、いくら当主とはいえ、「アリシア様」とはなんとも堅苦しい。この家の者の人柄なら、身分など気にしないはずだ。気軽に「伯母さん」と呼ぶだろう。

「……確かに私はアリシアの作った『刀』。しかし少年、何故私をアリシアのものとわかったんだ?」
「だって、この屋敷にある刀といったら、アリシア様の『刀』しかありませんから!」
 少年は興奮して早口で捲し立てた。
「……でもあり得ない! もう『親』が死んでいるのに『子供』が生きているなんて! でも活動を沈黙させていたのなら、魔力が温存されて大丈夫なのか? それとも本当に名実共に完全自立を……」
「……おい、待て少年」

 独り言へと変わった少年の言葉に、さきほどの疑問を解くものがあった。
――『親』が死んでいるのに――
「母上――アリシアは、死んだ、のか?」
「え、ええ。大昔に。大体、三百年前くらいに」

 部屋に、沈黙が流れた。
 少年に与えられた情報が衝撃的すぎて、何も出てこなかった。
 少年も異様な空気を察して、何も言わなかった。

 思考が完全に絡まる。

 普通、『命』を吹き込まれたモノ――『子供』は、『命』を吹き込んだ者――『親』が死ぬと、死んでしまう。
 自分の『親』であるアリシアは、とっくに死んでいるという。ならば、自分も死んでいるはずだ。目覚めることもなかったし、今ここで少年と話すことなどない。
 少年も当惑しているようだ。嘘はついていない。

 では尚更、何故自分は、ここにいる――?!

「……記録では……いや、正確には日記なので、記録とは言い難いですが……」
 と、少年が口を開いた。話をしてもいいのか迷っているのか、少し声が小さい。
 それから少し間をおいて、自分が何も言わなかったので、少年は言葉を続ける決心をしたようだ。
「アリシア様の弟の日記です。それによると、アリシア様はあなたを、墓地に捨てた。だけど、弟さんは、それではあなたが不憫だと、拾って、人知れず隠し持っていたそうです」
 あの恐ろしい死の沼から、すくい取ったというのか。あの時は異界からの住人の侵攻が激しく、世界は死が満ちていた。更に疫病まで加わって、王都でさえ死者がきちんと供養されず、野晒しとなっていた。その死体をとりあえず隔離しようと放り投げられていたのが、自分が捨てられた場所だった。
 自分が眠りについたのは捨てられてすぐだったので、救い出された事実は知らなかった。
 実際の面識は無きに等しかったが、『母親』の一部をもらっていたから、弟のことは知ってはいた。目の前の少年に容姿は似ている。姉が優秀だったせいで目立たなかったが、それでもなかなか腕はよかった……。

 少年は続ける。
「最近になって、その日記が発見されました。そこに、あなたを隠していた場所も書いてありました。あなたを発見したのは、つい昨日だったんです。今は展示室に安置されています。日記には……あなたが何故捨てられたかの理由も書いてあって……僕の母が、『命』はもう無くとも丁重に弔ってやろうと、明日神殿に持っていく予定でした」
 少年が俯く。おそらく、自分が捨てられた理由とやらを思い出し、余計なことを言ったかと恐れているのだろう。

 自分が捨てられた理由。
 それは、自分が役立たずだったからだ。
 自分は懐刀。いざという時に、主を守るのが使命。
 それが、できなかった。だから捨てられた。自分を作った、母親自身に。

「……何故、私はここにいるのだろう……」
「え?」
 考えれば考えるほど、その言葉が頭に浮かぶ。何故、と。
 自分は、役立たずで捨てられた『命』だ。その上『親』が死んだ今も尚、何故こうしてこの世にいるのか……。

「何故、なんて、わかりませんよ」
 少年が、言った。
 それは、幽霊を怖がったり、自分に遠慮して小さくなった声ではない、芯のあるしっかりした声。
「『ヒト』はすべからく、何故生まれたのか、生きているのか、わからないものです」
 十二歳ほどの少年が口にしたとは思えない、貫くようにしっかりとした言葉だった。
「それを見つけていくのが、『ヒト』の道と、僕は思います。だから、あなたが何故三百年の時を経て現れたのか、その理由は、あなたが決めることです」

 変な少年だ、と思った。
 だって、自分は作られた命だ。いうなれば、自分は道具なのだ。
 それなのに少年は、自分のことを、少年と同じ『ヒト』としての立場で語っている。
 『母親』とて、彼女の魂の一部を使って作った自分のことを、道具として扱い、道具として捨てた。

 それ故に、少年の言葉に、新鮮味を感じた。「理由は、あなたが決めることです」――。

 『母親』も死んだ。道具として役立たずで使い道がない。
 自分はこの世において何をすべきか。時間は、充分ありそうだ。
「そうだな……その理由を探してみるのも、また一興かもしれない」

 と、少年が急におどおどし始めた。
「す、すみません! 僕みたいな子供が偉そうなことを……!」
 どうやら、自分が三百年前に作られた『命』ということを気にしているようだ。
「何、気にするな。私は生まれてすぐに眠りについた。目覚めたのも今さっきだ。年齢など、君と大して変わらないさ」
「は、はあ……」
 少年はまだ畏まっていたが、それに少し、可笑しさが込み上げてきた。
 その感情に戸惑う。さっきまで、何故目覚めたのかとか、『母親』のことを思い出しては戦々恐々していたのに。
 何故だろう。記憶にある『母親』の弟に似ているからだろうか。

 ふと思い出した。
「そうだ少年、君の名前は何という」
「名前ですか? 僕は、ヨハネスです。ヨハネス・レーヴェン」
 少年はそう素直に答えた。最初自分を幽霊だの何だのといって恐れていたのが嘘のようだ。

「あなたは?」
「え?」
 少年が、聞いてきた。
「何?」
「いえ、名前ですよ」
「……名前……」
 自分は、『懐刀』だ。自分達のような『命』を道具扱いしてきた者達にとっては、名称などそれで十分だった。
 しかし、この少年は自分を『ヒト』扱いする。それならば、名前を聞くのは当然だろう。
 だが。
「私に、固有の名前はないんだ」
 悲しくなる。『ヒト』として扱ってくれている少年のその思想を、真っ向から否定しているようで。

 だがそう言って、思いつく。
「そうだ少年、私に名前を付けてくれ」
「え?」
 自分に固有の名前はない。ならばつけてもらえばいい。
 自分は道具として、主の命を守る為にあった。でも今は、その使命が無く、『ヒト』として自分の在る意味を探そうと思う。その出発の、記念として。

 少年は提案に戸惑っていたが、少し間を開けて、言った。
「良いのが思いつきませんので……平凡で申し訳ありませんが、僕の名前を差し上げます」
「少年の? ヨハネス?」
「いえ、あなたは女性でしょう。だから、ヨハンナ」
 『命』に明確な性別はないが、確かに自分は『母親』の魂の一部をもらったので、女性と言えば女性だろう。
「しかし、ヨハンナか。それではあまりにもそのまますぎるな」
「そうですね……あ、じゃあ、ちょっと変えて」
 少年が良い案を思いついたのか、明るい顔で言った。

「アンナ、はどうでしょう」

「……アンナ……」
 それはそれで平凡な名だったが……気に入った。
 だってそれは、少年の名の一部だったから。

 かつての『母親』のことを思い出す。
――あなたに私の一部を与えましょう――

 嘗て成しえなかった自分の存在意義。
 今度はそれを、見つける為に生きる。

「よし、私はアンナ。よろしくな、ヨハネス」
「あ、はい!」



 これが自分――私、アンナと、後のレーヴェン家当主ヨハネスの、長い付き合いの始まり。



 

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