知らせを受けたアルベールは、酷く有頂天になっていた。それは、彼を知っている人間がいたら、別人だと思われるほどだった。
冷静で冷酷な宰相。シスル家当主。
そんな肩書きはかなぐり捨てて、アルベールは年甲斐もなく満面の笑みで屋敷内を走った。
客間へ続く扉を弾く。その先には、驚いた顔をした長年の友人がいた。
ヨハネスは乱暴に開けられた扉の音に驚いたが、現れた友人を目にしてほほ笑んだ。
出された紅茶のカップを置き、立ちあがって友人に挨拶をしようと近づく。
「アルベール様、お久しぶりで――」
「ヒャッハー!! 新鮮なヨハネス君だァ―――!! 食らえシスル家秘伝の奥義!!!!」
「おぐはぁっ?!」
部屋の片隅にいたシスル家の執事は、主人が友人に向かってタックルをきめたのを見て、ため息をこぼした。
まるで幼い子供のように暴れた――殴る蹴る魔術をぶっ放す――後、アルベールは唐突に電池が切れたように倒れた。
アルベールの攻撃を一身にに受けてボロボロのヨハネスだったが、倒れた友人が地面にぶつかる寸前に受け止める。
普通なら、唐突の奇行にも倒れたことにも驚き、不審に思い心配するだろうが、そこは長年の友人だった。
「……寝ています。相当疲れていたのですね」
ヨハネスに支えられたアルベールは、穏やかな寝息をたてていた。
完全に力の抜けた人間は重い。ヨハネスは苦労しながらも、ソファに友人を寝かせた。
そこに計ったように執事が毛布を持ってきた。
それをかけてやり、ヨハネスもソファの空いたスペースに座る。
「……お疲れ様です」
「ありがとうございます。でも、私よりも、アルベール様のほうが疲れていますよ」
ヨハネスに対して頭を下げた執事に、彼は苦笑した。
いつの間にか姿を消す国王の補佐の仕事は尋常ではない。王がほったらかした仕事も片付けなくてはならないし、王は追跡しなくてはならないし、王を逃した批判も受けなくてはならない。さらにシスル家当主としても、日々敵対する家との抗争に頭を悩ませている。
アルベールの今回のような異常な行動は、それらのストレスを発散させるためのものだ。
「しかし、毎度毎度、主人に付き合わなくともよろしいのでは。お身体がもちませんよ?」
アルベールのストレス発散は、先ほどもあったが、殴る蹴る魔術をぶっ放す、である。しかも彼は、『聖女の末裔』のひとつで、破壊の魔術に特化した「シスル」家の当主。それを受けるとなっては、並の魔術師なら、死を視野に入れなくてはならない。
ヨハネスは執事の気遣いに、笑って答えた。
「いいえ、私は適任ですよ。時間はかかりますけど、彼の力に耐えることはできますから」
ヨハネスは、アルベールと同じ、『聖女の末裔』のひとつ「レーヴェン」家の当主だ。
レーヴェン家の者は、魔力を「とどめる」術に長けている。長年身体にとどめていた魔力をすべて防御に回せば、アルベールの苛烈な攻撃も凌ぐことができる。
「と、言っても、アルベール様これで手加減してますからね。いやはや。役立っているようで役立ってませんよ、私は」
同じ『末裔』同士でも、アルベールとヨハネスの魔術師としての力の差は大きかった。アルベールが本気でかかったら、ヨハネスが長年とどめていた魔力も簡単に消し飛ぶだろう。しかし、ストレスを発散させる方法を加減していたら意味がない。
執事は、そう言ってのけるヨハネスに苦渋の表情を見せる。
「いや、ですから、ヨハネス様が主人に付き合う必要はありません。貴方様はレーヴェン家の当主。万が一のことがあったら申し訳がありません」
この執事は、毎回このやりとりがあると、こう言ってくる。
ヨハネスは何も問題ないと思っているのだが、若く真面目な執事はそうは思えないらしい。まあ、仕方のないことだが。
毎回ヨハネスは、この執事の心配事をどうすれば無くせるか考えてきた。
ちらりと寝ている友人を見る。いつもだったらもう目覚めているのだが、今回は眠りが深い。それほど疲れていたのか。
しかし、これはヨハネスにとって好都合だった。
「……内緒ですよ」
ヨハネスは少し照れたように笑い、言った。
「こんな役割ですけど、役得と思っているんですよ、私」
「役得?」
「ええ」
訝しがる執事に、ヨハネスは気にせず続けた。
「何せ彼、そもそも友人が少ないですし」
アルベールは立場や性格上からか、友人が少ない。さきほどの子供のような姿をさらせる人物は、非常に限られる。
おそらく、自分と、彼の側近の魔王と、あの偉大なる魔女だけだろう。
「自分が特別な存在っていうのは、結構嬉しいものです」
はにかむヨハネスに、執事は、あきらめたように笑みをこぼした。
特別な存在なら、もっとあり方を抗議したほうが――と思ったが、どうやら、この人は相当なお人よしのようだ。
これからの人生、苦労しそうな人だと思ったが、もちろん口には出さなかった。
「……本当に危なくなったら、全力で抵抗してくださいね」
「わかっていますよ。アルベール様に抵抗できるほど私に力があるかわかりませんが」
「……そのアルベール『様』っていうの、いい加減やめてくれないか」
「ふあっ?!」
素っ頓狂な声とともに、ヨハネスの頭が掴まれた。
いつの間にかアルベールが起き上って、片手でヨハネスの頭をにぎにぎしていた。
「ぎゃーっ! 痛い痛い! アルベール様やめてー!」
「だからその『様』をやめろと言っている」
「うううう、あ、アルベール、やめてくださいー!」
「うむ」
自分の要求が通り、アルベールは満足したように頷いてヨハネスから手を離した。
どうやら一通り暴れたおかげで、ストレスは発散されたようだ。落ち着いたその雰囲気は、いつものシスル家当主である。
と、執事とヨハネスは思ったのだが。
ニヤリ、とアルベールの口端が持ち上がった。
「役得、か。嬉しいぞヨハネス君! 君が嫌かなと思って手加減してたけど、君がそう思っているのなら、もう全力で構わないな!」
「え……えぇ?! あ、アルベール様聞いてたんですか、起きてたんですか?!」
「だから『様』をつけるな我が友よ! あああ嬉しいなぁヨハネス君! 今日は思いっきり暴れようそうしよう、いっくぞぉ〜!」
「え、ちょ、アル、ぎゃあああああああああ?!」
さて、このお人よしは、いつになったら前言撤回するだろう。
……少なくとも、今ではないだろう。
悲鳴を上げながらも、困ったように笑うヨハネスを見て、執事は思う。
そして、素早く戦場と化した部屋から退却し、救急箱の用意をするのだった。