あの人だけは 大丈夫なんて うっかり信じたら ダメダメよ!
そんな歌が、どこかにあった気がする。
朝食を取るため食堂に来た時、ちょうど、藍色の双眸の少女と出くわした。
「あ、おはよう、トレイン!」
朝の気だるい気持ちを吹き飛ばすような元気な笑みと挨拶だ。
「おはようリィン。相変わらず毛先がうねりまくってるね」
トレイン・リウォーラは爽やかな笑みを浮かべて、リィンの髪を一束持ち上げた。
確かに、ウェーブがかかっている。
「やかましいっ、もうこれはクセなの! 何しても無理なの!」
と、リィンはトレインの手を軽く叩いて、髪から離した。
「……って、やだ、トレイン」
リィンは小さく笑ってから、トレインの頭を指差した。
「トレインも人のこと言えないじゃない。後ろ、寝癖ついてる」
「え、嘘」
言われて、トレインは自身の後頭部に触れた。
確かに、一束跳ね上がっている。
それを確認して、ちょっと頬が赤くなった友人を見て、リィンは笑った。
「まったく、あんたって妙なところで抜けてるのよねぇー。ほら、ちょっと頭貸して」
と、トレインは頭を少し下げるように傾けると、リィンはポケットからヘアピンを取り出した。
そして、それをクセのある部分に挿す。
「これで跳ねは目立たないでしょ。後で水でもつけて直しなさい」
「これはこれで別の意味で目立つと思うよ」
茶髪に、黒いヘアピンが二本。位置も後頭部と、妙なところにある。
しかし、それでもトレインは嬉しそうに微笑む。愛おしそうに、そのピンに触れた。硬い金属。しかし、どこか温かい気がする。
「あーっ、ずるいリィン! 私にもヘアピンしてー!!」
「うおっ?!」
突然、今まで傍観を決め込んでいたライズが、リィンに向かって突進、もとい、抱きついてきた。
不意の出来事で、リィンは少しよろけた。
「もうライズ、何すんのよ!」
「ヘアピンー」
「ああああハイハイ、わかったから朝から引っ付くのはやめなさいっ!」
そう言ってリィンは、弟の前髪をピンで止めた。
それに、ライズは実に嬉しそうにする。呆れていたが、リィンもつられて嬉しそうに微笑んでいた。
実に、仲のいい姉弟だ。
トレインはそんな二人を見て、『笑って』いた。
*****
魔学の授業の時間である。
今日は教師が出張でいないため、自習となった。
当然のごとく、課題もおいてかれたわけだが。
「…………」
開始二十分。成績ワースト10の少女は、苦悶の表情で机に向かっていた。
与えられた課題は、「魔力の暴走について」のレポートを書くこと。
「うー、うー」
と唸りながら、じわじわと鉛筆が進んでいるが、時折止まって用紙とにらめっこをしていた。
何を書くのかの筋を決め、下書きを大半書き終えたトレインは、チラッと隣を見て、気付いた。
「あ……リィン、ここ」
「リィン、ここ間違っているぞ」
「え?」
ライズが腕を伸ばし、その間違っている部分を示す。
「ここは纏めるのではなく、分散で……」
と、説明を始める。
リィンはそれを聞いて、納得したように頷いた。
「そっかー! やっぱりライズは頼りになるなる! ありがとう!」
「あっはっは、こういう時だけ褒めても何もでないぞー?」
そして、謝った部分を訂正し、リィンは再び、ゆっくりであるが文字をつづり始めた。
トレインは、間違いを示そうとしていた手を机の下に引っ込めた。
『笑い』ながら。
*****
「はーい、今日は『ラーファエット』という魔草を採りにいきまーす」
と、実に楽しそうに、生物学の教師は言った。
「これは次の薬品学で使うので、前習ったことを思い出して、ちゃんと生きたまま採取するように!」
「うわわ、この間って、三日くらい前だよ! ラーファエットを生きたまま捕まえるのってどうするんだっけ?」
リィンは独り言を言った。それにしては、声が大きいが。
「熱を加えればいいんだよ」
と、トレインは素早く言った。
ラーファエットという植物は、魔物と植物の中間に存在する『魔草』だ。
普通の植物でたとえるなら、食虫植物である。獲物が近づくと、触手を出してきたり、しびれる花粉を出したりとしてくる。それなりに思考するものもある。
ラーファエットは蔓で殴ってくるという、比較的安全な魔草だった。といっても、その力は半端なく、骨にひびが入るほどである。だが、それ以外の事はしてこないし、蔓の速度も遅いので簡単に避けられる。
これを生きたままの状態で特殊な液に浸すと、毒薬ができる。といっても、少ししびれる程度だが。
「ていうか、次の時間、毒薬つくるのか。最近生物学の先生過激になってるね」
しかし、この草は繊細で、根に少しでも衝撃があれば、枯れて死んでしまう。引っこ抜くなんて行為で、確実に死んでしまう。
しかし炎には強く、しかも熱せられると、体を守ろうと分泌液を出す。それが根も守る為、引き抜く際の衝撃で死ぬことがなくなるのだ。
「(といっても、もちろん抵抗はされるけどね……)」
一通り、三日前の授業を思い出し、トレインは目の前に広がる森を見た。学園の敷地にある森だ。たくさんの魔物が住んでいるらしく、許可なしには入れない。
ラーファエットを主食とする魔物もいたはずだから、それらの妨害のことも考えないといけない。
と、トレインはそこまで考えて、隣にいるリィンを見た。
魔物だらけの森に入ることに、少し怖がっているようだった。
それもそうだと、トレインは顔をしかめた。この少女は何故か、魔族をはじめとして、やたらと妙なものを呼び寄せる性質を持っている。魔物も然りだ。
「リィン、俺と――」
「ライズ、一緒に行こう!」
リィンは隣にいた弟に向かって言った。
「なんだ。私に頼ってはためにならんぞ」
「うっ……ちゃ、ちゃんと自分でやるわよ! でも、緊急事態に備えてねぇ!」
顔を少し赤く染めて、リィンは言った。それにライズは、にやりと笑って答える。
「はいはい、わかったわかった。まったく、私がいないと森に突っ込むこともできないのか〜?」
「うるさいっ! む、昔ここでちょっとあって、それが少しトラウマになってるだけよ!」
完全に顔を真っ赤にさせ、リィンはずんずんと森に行ってしまった。ライズはそれに、面白そうに笑いながらついていった。
他の者達も、個々だったり数人で組んだりとして、森に向かっていた。
トレインはそれらの半数を見送ってから、ゆっくりと足を動かした。
「……『珍しい』」
トレインは『笑み』を湛えながら、小さく言った。
そしてその姿は、森の闇に溶け込むように、消えた。
「ひょあああ――――――!!!!」
空をきって襲い掛かってきた、腕くらいの太さがある蔓を、リィンは跳んで避けた。しかし、今度は上から襲い掛かる。それを、着地と同時に転げるように避ける。
「このやろー!! 燃やしたんだからさっさと摘まれなさいよ!!」
炎に焼かれて分泌液を出したラーファエットは、ぬらぬら、うねうねとしていて気色が悪かった。しかも、本体の大きさは、リィンの身長近くある。
「当たり前じゃないか。生けるものとして、生命活動の危機に陥れば抵抗するというものだろ」
「そーだけども、凶暴化するなんて聞いてないわよーッツ!!」
「だからそれも生命を守る為に必死なんだろう」
「てか、なんであんた後方にいるのよ! 助けなさいよ!!」
「喋る余裕がまだあるだろうが。それに自分で言ったではないか。私は緊急事態まで動かん」
「この鬼畜生――――――!!!!」
叫びながら蔓と格闘する少女を尻目に、ライズはいつの間にか手に入れた自分の分のラーファエットを袋につめた。
「『睡眠の魔術(フィーパウ)』というものを、早く思い出してほしいものです」
先日の授業で、この植物にも効くと言っていたのだが。
「しかし! ここは愛のムチ。リィンがたくましく育つ為にも、ここは自力でどうにかするのを待つのみ!」
しかし、そう言いながらも顔がにやけているライズだった。
「っしゃ――――ッ!! やっと引っこ抜いたわよこの草めが!」
汗だくの少女は空に向かってガッツポーズを決めて、叫んだ。
「なんだ……案外早く終わったな、リィン」
それをつまらなそうに見て、ライズが言った。
「うっさい!! 『フィーパウ』のこと知ってたら、もっと早い段階で終わってたわよ!!」
リィンはそのことを教えずに傍観していた弟を、恨みがましそうに睨んだ。しかし、ライズは知らぬ顔をして荷物を抱えた。
「さて、戻らないと。どっかの誰かさんが基礎を忘れていたせいで時間が食いましたから」
「わ、悪かったわね――――!!!!」
リィンも草を肩に担いで、弟の後に続く。
が。
「―――?!」
突如、ライズの周りの空間が、よじれ始めた。
空間に体が飲み込まれていき、周りの景色が空間の割れ目に飲み込まれていく。
ライズは、体が引っ張られるような感覚を感じた。
転移魔術だ。
「ライズ?!」
リィンが慌てて消えていく弟に手を差し伸べた。しかし、ライズは手を取らなかった。
これを発動させた人物が誰だか魔力の波動でわかったし、なにより『彼』がこうして転移魔術で自分だけ呼んだわけは、リィンを巻き込みたくなかったからであろう。
「大丈夫、すぐ戻りますから」
そう笑いかけて、ライズは素直に呼びかけに答えた。
転移した先は、森の奥だった。
ライズが立っているのはひらけて地面が見える場所だった。まるで、そこだけ木々が切り取られてしまったようだ。周りは、日の光が全く届かないような生い茂った森が囲んでいる。一歩入れば方向感覚がなくなり、すぐに迷ってしまうだろう。
しかし、どうやって帰ろうなどということは、今は考えていなかった。
ライズは、目の前にいる人物に、片手を挙げて挨拶をした。
「トレインさん、こんにちは。私に何か用か?」
「こんにちは、ライズくん。用があるからわざわざ呼んだんだよ」
トレインは、笑みをライズに向けていた。
しかし、それはいつもの吹き抜けるような笑みではなかった。
「――ッ!」
ライズはそれに――戦慄を覚えた。
思わず身構える。
そんな笑顔のまま、トレインは言った。
「あのね、ライズくん」
トレインが、距離を縮めようと一歩歩んだ。
「なッ?!」
瞬間、トレインはライズの目の前に来て、拳を繰り出した。
ライズは顔を横にずらしてそれを避けた。
しかし、今度は下から拳が飛来する。
仰け反って避けるが、追撃にわき腹へ蹴りが仕掛けられようとしていた。
仕方がなく、そのまま仰け反って地面に手をつき、腕の力で後ろに回転した。
「ぶわ!! トレインさんいきなり何ですか?!」
今度何が来ても大丈夫なように構えなおす。
トレインの様子から何かおかしいと感じてはいたが、まさかいきなり攻撃が来るとは思わなかった。
そこで自問する。最近彼の気に障るようなことをしたか。いや、最近彼の勉強時間に騒がしいことをした覚えはない。それ以外も、毛頭考え付かなかった。
トレインは笑っていた。しかし、それが徐々に変化していく。
「……『珍しい』んだよ」
「?」
トレインは『笑って』いた。実に、楽しそうに。
目の前の獲物を狩れることに高揚した、飢えた獅子。
「――――っ」
ライズは、声を出すことが出来なかった。ただ、事態を見送り……
自分が死なぬよう、対応するのみ。
「実に『珍しい』。俺が、まさか……自ら修羅を望むとは」
「な、何を……」
絞り出した声は、実に頼りないものだった。
トレインはライズを見据え……
「……ムカつくんだよね」
と、言い放った。
「……どうしてですか。何か私、しました?」
先ほども考えたが、記憶にはない。自分は知らず知らずのうちに、これほどまでに彼をいらだたせることをしたか。
彼の中にある、何か得体の知れないものを呼び出すほどのことを。
「そうだね、わからないよね。だったら教えてあげるよ」
トレインは自身を落ち着かせるように大きくため息をついて、目を瞑った。
そして
「俺とリィンは入学して以来、なんだかんだ言って仲良くしてたんだよね。勉強のことにしても、いやいや言いながら結構真剣にやってたし。
そもそもリィンをヒィヒィ言わせてたのって、三年上がるまで俺だったし。なのに、今まで知らなかった弟の存在が出てきて、それが学園に入学してきて、更に飛び級までしちゃって。
いつもリィンにべったりだし、リィンは弟のほうに絡まれてそっちばっかりに気が行ってるし。課題にも、弟にくっついて行くようになったし。なんか、俺のことどうでもよくなっちゃった感じで。
最近では影で『トレインはリィンにフラれた』とかいうちょっと頂けない話まで言われちゃってるしね」
と、一気に言い切った。
それに、ライズは体から力が抜ける気がした。
「えーと、つまり何ですか?」
一気に言われたものだから、整理に時間がかかった。
そしてその結果、ある結果に辿り着いて……。
ライズは、絶句しすぎて息をするのも忘れた。
数拍して、咳き込んでから言った。
「ちょ、ちょーっと待って下さい。それって、えと、えー?」
でも、信じられなさすぎてどもってしまう。
「つまり、いつもリィンにくっついてる私に、し、嫉妬していると?」
「うん」
あっさりと。
「そ、それだけのためにここに呼び出して、あれだけの怒気が出たと?!」
「うん。だって俺青春真っ只中十七歳よ。ひとつの恋に命がけ」
「こ、こッツ?!」
ライズは再び言葉に詰まった。
今、なにか、聞き捨てならない言葉が出たような。
「い、今、なんと」
「あ、もしかして、ライズ君気付いてなかった?」
「俺、リィンのこと、好きだって」
意識が飛びそうになった。
とにかく信じられなかった。
だってこの青年は、とにかく勉強勉強でリィンをいじめ続け、そもそも自分も勉強好きだからそういうことに興味がないと!
「す、好きって、そ、それは友達として―……?」
「いや、女性として」
しかも、ちょっと紅潮している。
瞬間。
ライズの思考が、止まった。
――だって、いつも勉強という名のいじめみたいなものを繰り返していたし!
――ま、まさか、こんなところに伏兵なんて!!
「まぁね、仕方ないよ。キミにとってリィンは大切な姉なんだし、今も十七歳とは思えないほど子供っぽいところがあるけど、いつかは君から離れていく。だから今のうちがやりたい放題なのもわかる。
でもね、やっぱりダメなのよ。そろそろ限界」
と言いつつ、体を構えて、やっといつもの笑みを浮かべた。
「今度は、本気でやらせてもらうから」
それに、ライズはいろんな意味で、頭が真っ白になっていた。
「トレイン!」
藍色の双眸を持つ少女は、少し困ったような顔で走ってきた。
「どうしたの、リィン」
トレインはそれに、いつもの爽やかな笑みで迎える。
「あのね、ライズがまだ戻ってきてないの。なんか、転移魔術で飛ばされたみたいなんだけど……」
「そうなの?」
素知らぬ顔で、トレインは答えた。
生物学の授業は終わりに近づき、大半の生徒が戻ってきていた。
それなのに、学年トップ3であるライズが戻っていないということは。
「なんかやっかいな魔物に引っかかったんじゃないわよね……ねぇ、トレインどうしよう!」
そう言われ……トレインは、『笑った』。
「ライズ君のことだから、大丈夫でしょ。それよりもほら、次の授業の準備しなくちゃ。これ、下準備結構かかるから」
と、手に入れたラーファエットを持って言う。
「…………」
リィンはそれに、何か言いたそうにしていたが……
「まぁ、トレインがそう言うなら平気なんでしょうね」
あっさり弟の心配をやめた。
「うんうん。そうそう」
それにトレインはちょっと嬉しそうに笑った。
そしてトレインは、次の授業である薬品学が行われる教室に向かう為、歩き始めた。すると、一歩後ろからリィンがついてくる。
「何?」
トレインがわざと尋ねると、リィンは少し恥ずかしそうにしてから、言った。
「これ使った薬の作り方、良くわかんなかった。だから……お、教えて」
予習、一応はしたんだ。トレインは心の中でそう言い――
「いいよ、みっちり教えてあげる。あとで復習もしようか」
「ええ?! ちょ、またあの地獄のお勉強会するの?!」
「地獄なんて失礼な。どうせ明日は休みだし。うん、そうしよう!」
「な、何一人で納得して決定してるのよ!」
「ふふふ、リィン。今日は寝かせないよ?」
「うわああああああ嘘マジ勘弁して?!」
「嫌」
「即答ですか?! しかも短ッ!!
うぅ〜〜、夜までにはライズの野郎帰ってきなさいよー……被害をせめて半分にしたいから〜……」
呪文を唱えるように、リィンは唸ってそう言った。
それを、トレインは笑って見つめた。
「(まぁ、ライズ君、ちょっとは許してよ)」
どこかで 埋まっている 少年に、トレインは言った。
ライズが『弟』なのだから、やはり、分は彼にある。彼女と過ごした時間も、多分自分よりも長いのだろう。少なくとも、一日過ごす中で、彼は自分より彼女と一緒にいる。
「(……だから、せめて今くらいは独占してもいいよね?)」
トレインは後ろについてくる少女を見た。
諦めた表情で遠くを見て、この世を嘆いている。
それを見ても、やはりトレインは笑っていた。
――なんだかんだ文句を言っても、そうやってついてきて。
――嫌なことは嫌だってはっきり言わないと、こっちが勘違いをしてしまうよ?
――あの『弟みたいなの』より、まだ俺のほうに勝機があるって。
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